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そこは往来なので、自分の庭で。

私は時々ツイッターのスペースで話をします。そして、それがとても長いです。人のスペースに参加しながら自分語りも質問もしまくり、対話とは呼べない一方的な話をして、そしてそれがとても長い人…私はスペースという場にとってよろしくない人物だろうなと思います。

しかも、「あぁ、いっぱい話せてスッキリした!」ではなく、「言いたいことがまとまらない結果長くなってまったな…」という感じなので、当の私にとってもメリットが薄く更によろしくないなと思っています。

この文章の頭にある画像は、『コウが玄関でリュックの中身を全部出して整理するために玄関ホールに足の踏み場がなくなり移動上困るので、玄関では全出ししないようお願いをする』というマンガの一部を切り抜いたものです。

コウのリュックの中身で玄関ホールが封鎖されている我が家。

コウがリュックを整理しているのは、自分の持ち物の整理という『自分だけで完結できる行為』であるのと同時に、私に渡すプリントや連絡帳を出そうともしていることから『他者に関わるための行為』でもあると言えます。

そして、その行為によって玄関は封鎖され、プリントや連絡帳を受け取る私が、他の用事(この場合はトイレへ行くこと)をできなくなっています。

私がスペースでペラペラ話している状態は、このマンガのコウのような感じなのではないかと思います。私が話すのは「この話を聞いた他者からの反応」を求めてのことですが、そのために他者を必要のない作業に付き合わせて待たせて、場の機能を制限しています。

このマンガでいえば、コウは自室かリビングの一角でリュックの整理をすれば、玄関は封鎖されることなく私は1階のトイレにも2階のトイレにも庭の水やりにも自由に行くことができ、その間コウは自分のペースで荷物を整理することができます。

私は普段家族や友人と話す時、もう少しコンパクトな話や細切れの話をすることが可能です。コミュニケーションの経験値が溜まっている相手との間ではハイコンテクスト化されたやりとりが(私なりにいくらかは)可能だからです。

ツイッター上の初めてお会いする方や、ツイートを読んだことがあるだけの方に対しては「これで通じるのか?」「言っていることはこういうことなのだろうか?」を理解することが難しく、もともと一方的で長い話が更にそうなりがちです。

つまり、これはスペースでマイクをonにしていただいた時点で、量の多寡はいくらかあれど、ほぼ決定していることなのだろう…と、今日改めて思いました。

ということで、コウが自室やリビングの一角でリュックの中身を整理するように、私はnoteで自分の話(あったことや思ったことや考えたこと)を書こうと思いました。多分、中身もオチもない話をダラダラと書くと思います。気軽にツイートしたらとんでもない連ツイになってしまった時なども、こちらにまとめるかもしれません。忘れそうな漫画のネタも書くかもしれません。雑記ですね。

人通りのある往来を塞がないよう、自分の庭(オープン外構なので外からは見える)でリュックの中身をまき散らそうと思います。そんな感じです。よろしくお願いいたします。


コーヒーを飲みに行ったり本や苗を買ったりすると思います。