宮城先輩に叶わぬ片想いをする湘北1年になりたかったはずが/『THE FIRST SLAM DUNK』雑感2

前置き(読まなくても読めます)

初見感想(本編です)

ネタバレを含みます。

「ザファ」2回目はバーチャル川崎(名倉有夢《あむ》はVtuber擬きである)のチネチッタに観に行った。LIVE ZOUNDには、『劇場版少女☆歌劇レヴュースタァライト』のときもお世話になった。冒頭のトマトが叩きつけられるシーンの音で飛び上がった思い出が、鮮明に蘇る。前置きにも記載した(リンク)が、リピートの大きな動機は「『第ゼロ感』を爆音で浴びる」ことだ。音響がよければよいほどいい。
仕事を力技で調整して、定時の2時間前に退勤。早く宮城リョータくんを、そして手に汗握る山王戦を見たくてそわそわしながら電車に揺られる。1回観たときに、完全に宮城リョータに恋に落ちた。暗い過去を背負い、弱い自分を隠し、精一杯「平気なふりをする」彼の、力になりたい。上映後即Google検索をして、あの強気ではっきりとした美人マネージャー・彩子のことが大好きだと知ってあえなく玉砕するも、横恋慕くらいは許されよう、鑑賞券をとったときの気持ちとしては、完全に、陰ながら宮城先輩に片想いをし、わざわざ広島まで応援しに行くことを決めた湘北1年のそれであった。というか、お淑やかで清純で……みたいな女の子ではなく、ああいうぱきぱきした女性が好きなのはむしろ好感が持てる。ああ、宮城先輩……! お慕い申し上げます! ちなみに、名倉有夢はアラサーである。
2回目を見るにあたり、それら初期衝動(誤用)(と言いたいところだが、辞書にない言葉なので自由に使ってよいこととしたい)を上書きしないよう、予めアウトプットしておくことも忘れない(リンク)。そうして感想を書いていくうちに、宮城リョータの母・宮城カオルに想いを馳せ始めた。模範的な親とは言いがたいが、愛情は間違いなくあり、女手ひとつでなんとか2人を育て上げていて、どうやら悪い親でもない。ただ致命的に不器用で、ちょっと臆病で、それらが次男にも似てしまって。そんな2人のすれ違いから和解までの物語が、作品の通奏低音となっている。
徐々に気持ちが高まり、事前に『深海魚/10-FEET』のMVまで観てしまった。実にうちなーんちゅな音色。湘南の海を眺めるカオルさんにそっくりのシーンから始まる映像。カオルさん目線からとしか思えない、兄弟についての描写が盛り込まれた歌詞……宮城家の末っ子にしてムードメーカーのアンナについては、MV内にてエンストで困っている主人公の女性を救うのが、天真爛漫そうな若い女の子である部分で回収しているのだと解釈させてもらった。10-FEETのTAKUMA氏自身も、TFSDのとある登場人物のエピソードに共感したと公表しており、主題歌及び劇伴に2年携わったバンドからそのような言葉が出てくるなんて、もう……こういう言い方はよくないことを承知で言葉を選ぶが……、半公式イメージソングみたいなものじゃないか。
劇場につく頃には、乙女心はすっかり親心に変わっていた。
年齢かな。
年齢だな。
繰り返すが、名倉有夢はアラサーである。
さて、上映開始2分前に到着。バタバタと発券し、駆け込みでパンフレットを買い、シアターに飛び込む。無事間に合い、汗を拭いながらぼけーっと広告を見ていた。本当は観る前にパンフレットをちゃんと読み、山王の坊主たちの区別がつくようになりたかったのだが……。映画泥棒のドタバタ劇が終わり、いよいよLIVE ZOUNDの演出が挟まる。明らかに音が変わるのがわかって、期待は最高潮。そしてついに映画が始まる。
バスケットボールがバウンドするときの、スコーンと弾む高音の抜け。
これを聴けただけでも、チネチッタに来た甲斐があったというものだ。こんな抜群の音響なのに通常料金なのが大変ありがたい。ZOUNDは明日で終わってしまうみたいだが(もっと早く書き終わればよかった……)、LIVEサウンドの方はまだ上映しているはずなので、お近くの方は……いや、近くなくても、行く価値があると思う、選択肢としていかがだろう。ドルシネとか立川の極音とかあるから、そっちでもよいかも知れない。比較していないからなんとも言えないが……。
本作は、手に汗握る試合展開と涙なしでは見られない人間ドラマの2本立てで構成されたストーリーもさることながら、とにかく音と映像に力が入っている作品だ。と、少なくとも私は思っている。これは映画好きの友人の受け売りなのだが、映画の醍醐味はストーリーだけではない。それを踏まえて、この素晴らしいアニメ映画は、音と絵で最上の体験を味わわせてくれる。バッシュがキュッキュと擦れる音。リングにボールが通る音(Swish da 着火 you!)。体がぶつかる音。波音。ベストなタイミングでかかる、10-FEETのTAKUMA氏が手がけたゴリゴリのミクスチャーロック。3Dと2Dの境が全然わからないほど緻密な作画。3Dを活かした激しい動きのある絵。イノタケ先生の画風の変化なのか、コミカルな要素を省いたからなのか、原作やアニメの絵よりも一層男前に見えるメンバー各位。
気持ちいい。
見ていて。
聴いていて。
さあ、肝心の内容について。
見始める頃にはすっかりカオルさんの背後霊になっていた私は、開始数十秒でもう泣いていた。いいお兄ちゃんをしているソーちゃん。上手くプレイできなくて、泣きじゃくって、抱きしめられるリョーちゃん。ここで既に大号泣。兄を強く慕っている弟と、面倒見のいい兄。もう帰ってくるなー(うろ覚え)! でまた涙腺が決壊。これで本当に帰ってこないなんて、言ってしまえばかなりベタな展開なのに、どうしてこんなに泣けてきてしまうのだろう? この後の宮城家の苦しみと悲しみを知ってしまっているからだろうか。
「行ってくる」水道の上に置き去りにされていたのと同じ、赤いリストバンドをつけるリョーちゃん。初見ではこれが誰のシーンなのか、なんとなくしかわかっていなかったのだが、2回観てやっとソーちゃんが無造作に置いていったものと同じなのだとわかり、強制的に冒頭の少年が彼であることを理解させられる作りになっていると気づかされた。
鉛筆書きが動き出すOPは何度見せられても痺れるかっこよさだ。出てくる順番は、宮城リョータと関係性が深い順だろうか? 記憶が正しければ、ミッチー、ゴリ、花道、流川。まだ原作も読んでいないのに、いや読んでいないからこそなのか、三井寿と宮城リョータの関係性にはなにか感じ入るものがある。1度兄の面影と重ねた男が、グレてバスケをやめていた。因縁をつけられた際に、このロン毛のいけすかない不良が誰だかわかってしまったリョータの、喧嘩を買う心情を想えば想うほど、どうしようもなく胸が締め付けられる。
スラダンミリしらで挑んだ1回目も十分に楽しめたのだが、2回目ではキャラクターが識別できるようになっており、試合展開がすっと頭に入ってくるようになった。深津の采配による、山王の鮮やかで美しいパスワーク。絶望的なゾーンプレス。残酷なまでに強い沢北。そして、何度もくじけそうになりながら諦めない赤木、限界を超えてもなお冴えたプレーと精度の高い3Pシュートを決め続ける三井、パスを覚えて意表を突く流川、背中を痛めながらもリバウントを教えられて型破りなプレイングを見せつける天才桜木、ゾーンプレスをパスではなく自分のドリブルで抜き去ってしまう宮城。熱い。熱すぎる。
初回では重厚な人間ドラマと映像や音楽の迫力で胸を焦がされたが、本作は極度に説明を排しているため、どうやらわかっていない部分を脳内補完していたようで、2度観ることでやっとその脳内リソースが解放されて、試合中の細やかな描写がよく目に入るようになった。なお、説明については全くないわけではなく、上記のリストバンドの件などさり気なく触れている。なんとも絶妙な塩梅である。表現には省略の美学という観点があり、私も日々文芸をしたためるにあたりかなり意識しているのだが(その割に文章がまとまっていない? うるせーぞ! その通りです!)、敢えて些細な映像や台詞回しで物語っている部分が多く、そりゃもう指摘したら止まらないくらい多く……、映像媒体を存分に活かした素晴らしい表現方法だと感じられた。
カオルさんの背後霊ワイ将がいちばん好きなシーンはやはり、IH前夜に書かれた手紙と湘南の海、リョーちゃんの知らないところでリョーちゃんの映像を観て、リョーちゃんに内緒で広島に飛ぶカオルさん、そして、行け! 行け! リョータ! ここである。
カオルさんが手紙を読んでいるときに挟まる心象風景。大変! と叫び出すアンナちゃんの声。このシーンはそもそも倒れているのが誰なのか、リョーちゃんだとして沖縄の家で倒れているのは何故なのか、等々解釈が別れるところで、私もまだ解読できていないのが本音のところだが、その次。仏壇の前で泣き崩れているカオルさんを、後ろから抱き締めるリョーちゃん。初回では、手紙を書いている宮城リョータ自身の心象なのだと思った。こんな気持ちで手紙を書いたのだろう、今の自分なら母を支えられると考えたのだろう。だが、2回目でまた違う見方を発見した。このシーンは、どちらかと言うとカオルさんの心象なのではないだろうか? 手紙を介して、リョーちゃんとカオルさんのすれ違い続けた心がやっと通じ合った瞬間なのだ、きっと。泣き顔をほとんど見せてこなかったカオルさんの涙と、心配ばかりかけて本心を見せようとしないリョーちゃんの本音を綴った手紙。
ありがとうの言葉を読んで初めてカオルさんは、彼が彼自身の人生をバスケのお陰で歩むことができていると知る。そしてそれが、自分にとっての救いだと感じたのだろう。宮城ソータの面影を探し、時に次男に重ねてしまっては自戒の念を抱く母。だが次男は、宮城リョータは、自分の人生をちゃんと自分の手で選んでいる。ソータの代わりに、なんて書いているけれど、彼が勝ち取ったボールでありコートだ。悲しみに寄り添ってくれている、彼が支えてくれていると感じたカオルさんは、やっとリョーちゃんに向き合うことができるようになる。
「背ェ伸びた?」賑わった湘南の海岸で、照れくさそうにリョーちゃんの肘を叩くカオルさん。本作では、原作ではべた惚れであると聞く彩子さんの前でさえ照れ顔を見せることがなかった宮城リョータが、おそらく唯一顔を赤らめているシーンがここである。原作にあるらしい恋愛描写をほぼカットし、代わりに親子関係にフォーカスした本作。パンフレットを引用する。
「連載時、僕は20代だったから高校生側の視点のほうが得意というか、それしか知らなかったんです。そこから年をとって視野が広がり、書きたいものも広がってきた。(中略)今の自分が関わる以上は、原作以降に獲得した『価値観はひとつじゃないし、いくつもその人なりの正解があっていい』という視点は入れずにいられませんでした。」
大人だって、「大人」である以前に人間である。真の大人はそれを知っている。彼女の親としての態度には賛否両論あるようだが、私には、カオルさんの描かれ方が、実にリアルな質感を伴っているように感じられた。彼女の視点から見るリョーちゃんは実にハラハラする少年だが、物語の終わりには強くなって戻ってくる。そのことがどれだけ彼女にとって、そして視聴者にとって心強いことだろう。
もう、結論、ほんと、親心である。2回目を観終わったときには、恋する気持ちとか、全然なくなってしまった。リョーちゃんのこと、リョーちゃんって呼ぶようになっちゃったし。でもいちばん好きなことに変わりはない。親心だから。我が子がいちばん可愛い。まあ境遇がつらすぎるので正直カオルさん自身にはなりたくないものの、繰り返すようだがカオルさんの背後霊として、原作や旧作アニメなんかに触れて、今後ともリョーちゃんを応援したいと思います。行け! 行け! リョータ!

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