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『水辺のビッカと月の庭』  第5話


ここにいないヒロム

 「ムンカ、もう止そう。指が傷だらけになってしまうぞ」
ムンカは必死になって黒い地面を掘っています。見かねたビッカが止めました。土で汚れた指に血が滲んでいます。
「ヒロムが地に飲まれてしまったんだよ、ビッカ」
 手を止めたムンカは薄情者とでも言いたげな表情でビッカを見ました。
「もちろん心配だよ。でも地面を掘ったところで見つかりはしないよ」
ムンカは自分が掘ったあとを見る。非力なムンカの力ではくぼみにもなってない。
「これからどうするの? ヒロムはどこかへ行っちゃたよ、まさかこれで終わりにするの?」
ビッカの表情に苦渋が浮かんだのはムンカの言葉のせいではありません。
「そんなこと思ってない。でもここにいても手がかりはないよ」
ビッカは薄暗闇に沈んでいる町の方を見ました。気づいたムンカも同じように視線を街の方に送ります。
「でも探すんだね」
ビッカは深くうなずきます。
「良かった。ビッカは帰ることばかり考えてるのかと思った」
ビッカの両目がまん中によってしまいます。
「考えがあるんだよね」
ムンカは念を押すように言い、ビッカは首を縦に振りながら答えます。
「無いことは無い。でも知らない所でできることは限られてるよ」
「でもそれをするんだよね」
「そうだね。町の中に戻ろう」
ビッカとムンカは来た道をひき返すことにしました。
「さっきから二人とも『でも』が多いね」
「ああ本当だ。ところで、こちらの道で間違いない? ムンカ」
自信がなくてビッカはムンカに尋ねます。
「いつも決まった道の散歩ばかりしているからだよ」
ムンカに言われてビッカは苦笑いを浮かべます。
 ムンカはすたすた先をゆきます。急いだところで状況がすぐに良くなるわけでもありません。それでも急ぎます。
「本当にどこへ消えたんだろう、あのドームの家」
 ムンカはぼそりと言い、ビッカも左右の目玉を真ん中に寄せながら言います。
「まったく迷子だな、ヒロムもぼくらも」
 町から外れた所からとぼとぼ住宅街に戻ってきました。赤く黒い月に照らされた路面は赤みを帯び、家々の屋根はそりかえっています。
 「ここがヒロムの家だったよね」
ムンカが立ち止まって家を見上げました。ヒロムの家はすっかり変わっていました。
「ヒロムは帰ってないよね」
言ってみただけと言った表情で呟いてみます。
屋根も壁も月の明かりに押しつぶされたようにクシャクシャです。
ビッカがムンカを見て背中を指さします。
「それここに置いて行こう」
「リュックを?」
「そうだよ」
ムンカは背中からおろし、開けて中を見ました。
「どうなってると思う?」
「重くはなさそうだ」
ムンカはリュックを逆さまにしました。
「なんにも出てこないよ。入れたはずなのに」
ムンカはリュックをヒロムの家の玄関前に置きました。
「この家って本当にヒロムの家だったのかな」
「違うよ、ムンカ」
ムンカは尾っぽを振りながらビッカを見ます。
「気がついていたと思ったけど」
ムンカはかぶりを振ります。
「言わなかったけれどここで見るヒロムの町は半分だけだよ。半分もないかもしれない」
「ビッカ、半分という意味がわからないよ」
ビッカは左右の目玉を揺らして考えます。
「たとえばお弁当やおやつを〈半分〉にして分け合うというような〈半分〉じゃないんだ。クッキーとチョコが半分と言ったとすると、原料の質や材料の量が半分しか入ってないっていう意味だよ。何かが足りなかったり余計だったりして満たされてないんだ」
ムンカの表情は笑っていません。
「それって酷い言い方だよ、ビッカ。この町はどこも出来損ないみたいだ」
ムンカには言い過ぎたものになってしまいました。しかし厳しい表情から一転して苦笑いを浮かべました。
「そんなお菓子は売り物にならないよ、ビッカ」
と言って声を上げて笑いましたが、無理をしているために表情が引き攣っていました。
 「正直こんなになるとは思わなかったよ、ムンカ」
「本当に。はぐれてしまうなんて」
「あのドームはいったい何なんだ」
ビッカは苛立っています。
「ぼくも気が緩んでいたよ」
ビッカはそんなことないと頭を横に振ります。
「ビッカに兄弟がいるなんて尋ねたからかな」
ムンカは少し後悔します。
「一緒に見に行けばよかった」
ビッカもムンカも一緒に大きなため息をもらしました。
「この会話、無駄だよね」
「ああ、そうだ。埒が開かないよ」
「何か考えはある?」
「とにかく最初の公園に行ってみよう」
ムンカはうなずきビッカの後ろをついて行きます。
 「ビッカ、同じことを考えてるよねきっと」
ビッカは空を見上げながら「多分ね」と答えます。空には半月の赤くて黒い月。空気はとても乾いています。
「月が戻ってるね」
ムンカも気がつきました。
「ここで初めに見たときとほとんど同じ位置だ」
見上ていたビッカが答えます。立ち止まってじっと見ます。
「空にも絵が描けるのかな」
「馬鹿なこと言ってないで。着いた。ここだよね」
ムンカの足が止まるとそこは木曜のブランコがあった公園です。
「まだ匂ってるね」
「気のせいだよ」
ムンカはキョロキョロしながら砂場の前を通ります。ビッカがムンカに話しかけました。
「覚悟はいい?」
ビッカの問いかけにムンカの表情はかたくなります。
「大袈裟なことを言って脅さないで。あの整備員姿を現すかな」
「ここでの手がかりは彼だけだよ」
ビッカとムンカは焼けこげたブランコを前にします。
「ムンカ乗ってみるか」
ビッカが指さしたのは焼け残ったブランコです。
「大丈夫かな」
金属製の吊りロープはダメージをあまり受けてないように見えます。座板は焦げていましたが形はくずれていません。
ビッカが揺すってみます。軽いムンカなら乗っても十分耐えられそうです。ビッカはムンカをヒョイと持ち上げてブランコに座らせました。
「しっかり握ってろ」
ビッカは緊張しているムンカの背中を軽く押します。
「ムンカ、重くなった?」
「はぁ?」
ちっとも動きません。今度はやや強く押してみます。それでも動きません。
「もっと強くでもいいよ」
ビッカは引き寄せて力一杯押しました。
「わ!」
ムンカは思わず声を上げました。動きが急すぎました。
「でもちょっと面白いかも」
ビッカは3回4回と背中を押します。
「もっと大きく」
ムンカに言われてビッカは力を入れます。
「どうだい、何か変わったことは」
ビッカは尋ねます。
「ううん、わからない」
「風の音はどうだ」
「ちっとも変わらない」
「ヒロムは本当のことを言わなかったのかな」
「そうは思わないけど」
「もしかして焼け残りのブランコじゃダメかな」
ビッカが不満げに言いました。
その時です。吊りロープが軋みだしました。
「ビッカ、いやな乗り心地になっているよ」
軋む音は次第に大きくなります。音は公園を飛びだして街中にもこだまします。
「ビッカが焼け残りだなんて言うからだよ」
言われたビッカは慌ててブランコを止めようとします。今度はブランコが左右にブレて暴れだしますムンカが叫びます。
「無理に止めないで」
ブランコは駄々をこねるように揺れだしました。はねるブランコが当たりそうになってビッカは尻餅をつきました。
軋む音が止んでどこからか大きな笑い声が聞こえてきました。不愉快な笑い声です。ビッカもムンカも自分が笑われたようで表情が険しくなりました。
声の主が植え込みの向こうから姿を現した。
「だれが軋ませてるのかと思ったらあんたたちか」
声のする方には影男が来ていました。以前と同じで上下一体の空色の作業着を着ています。フードが付いていて顔はあるが表情は見えません。
「確かヒロムと一緒にいたな。それにしてもひどい揺らしかただ」
あきれた口調で言います。
「乗っちゃいけないレベルだな」
ビッカは顔をしかめ、ムンカは吊りロープにしがみついています。
「この子は初めてのブランコだ」
「ブランコの機嫌を損ねてしまったな」
影男が近づいてきます。作業着が大きすぎてダブダブです。
「このブランコの悪口か何か言わなかった?」
ビッカが顔をしかめてしまいます。
「焼け残りのブランコって言っただけだよ」
とムンカが答えました。
影男は右腕をワイパーのように左右に振ります。
「それはだめだ。好きで燃やされたわけでもない」
それを聞いてビッカの目玉は赤くなり機嫌も悪くなります。
「燃やした本人に言われるとは心外だ」
ビッカの右目がぴくりと動きます。
「それより駄々っ子みたいだよ。どうやって止めるの」
しがみついているムンカが影男に助けを求めます。荒れた揺れのブランコにすっと近寄ると影男は左手をのばします。ロープをは吸い付かれるように左手に治りました。すかさず右手で座板を持ちました。抱えるように持たれるとブランコはピタッと止まりました。
ムンカはブランコから降りて、影男のすぐ目の前に立って睨みあげました。
「な、なんだ。どうした」
影男は少し怯むようすを見せながら言いました。
「来てくれてありがとう」ムンカは頭を下げました。影男はとまどいます。
「整備員さん、教えて欲しいことがあるんだ」
改まった口調でムンカは言います。
「ヒロムを知ってるよね。一緒にいた子だけど」
「ああ、知ってるよ。小さいときからずっと見てた」
「小さいときって?」
「母親に連れて来られて初めてブランコに乗ったときからかな」
ムンカとビッカはお互い顔を見合わせます。
「それって監視しているのか」
ビッカが問い詰めるよう言います。
「まさか。ブランコから落ちては大変だから見守っているだけだ」
そんな言い分にはムンカもビッカも納得しません。
「落ちる?ヒロムの友だちはブランコじゃないのか」
ビッカが言います。
「どうしてヒロムに付きまとっているの」
ムンカが尋ねます。
「人聞きが悪いよ、それは」
困った様子の影男は右手をワイパーのように振って答えます。
「それに意地悪しているよね」
今度はフードの縁が光だします。
「何が意地悪なのさ」
「ブランコの整備なんかちゃんとしてないじゃないか」
「町の公園からブランコが消えているって、ヒロムが話してくれたぞ」
影男はムンカとビッカに代わる代わるとがめられます。影男は左手を小刻みに素早く振って抗議します。
「人聞きが悪い、それは。整備を任されている身だよ、こちらは。不具合のあるものを見逃すわけにはいかない」
「じゃこれはどう」
ムンカは焼け残りのブランコを指さしました。フードを光らせ影男はあわてて右手を振ります。
「なんだかひどい誤解だそれは」
 影男は焼け残りのブランコを触りながら話します。
「これをボクがやったというのか」
ビッカとムンカはそろって首を縦にふってこたえます。影男は右手を次に左手をワイパーのようにうごかし打ち消します。
「これはヒロムがやったんだ」
迷いのないキッパリとした言い方でした。ビッカの赤い目玉はグルグル回りだし、ムンカの尻尾はパタパタと空をたたきます。次に向いあって顔を見あわします。
「あんなにブランコが好きなのにどうして」
ムンカは嘆き、ビッカが言葉を失います。
「でもヒロムの話しとくい違っているよ」
ムンカは荒っぽく尻尾をふりながら言います。ビッカもますます困った表情になっています。
影男の表情は見えませんがフードが点滅するように光っています。
「あの子は好きなブランコは大事にするけれど、そうじゃないのは」
と言って焼け残りのブランコを見ます。
「あんたらヒロム思いだね。嘘なら良いけど、残念ながら今言った通りだよ。飽きてしまったんだ」
ムンカは信じられないと言った表情で、
「だったら月曜とか木曜とか名前をつけていたブランコはどうなのさ」
ヒロムから聞いた話をします。
「それは‥‥」
言いかけた影男にビッカとムンカは視線を注ぐ。
「月曜のブランコ、名前までつけたブランコが今は無いよね?」
口ごもっている影男は渋々話します。
「確かにヒロムは毎日のように公園にやってきたよ。ブランコに乗るためにね」
「週に4日は揺らしているって言ってた」
影男はうなずきます。
「ヒロムは上手に揺らすことは間違いない。でも気に入らないと乱暴に扱うようになる。
ビッカとムンカは黙って聞いています。
「気に入ったら、もうそればかり揺らしつづけて、荒っぽい乗り方もする。結果不具合がでてきて撤去することになる」
「それならヒロムが悪いって言いたいわけ?」
ムンカはヒロムの肩を持ちます。
「ヒロムの他にブランコに乗り続けている子をしらない。見方によるとブランコに魅入られてるよ」
影男は右手をワイパーのようにゆっくりと振ります。
「それだってヒロムだけが悪い理由にはならない」
ビッカも言ってみたが、それ以上言葉が続きません。ムンカは「マズイな」と独り言のようにつぶやきます。ビッカもがっくりきています。
 影男は何度か大きく息をします。そのたびに青い上下の作業着が膨らみ。
「ところで、ここでは見かけない顔だね。あんたたちは、いったいどこから来たんだい」
ビッカとムンカは顔を見合わせます。
「アンタたちじゃないよ。わたしはビッカだ」
「同じく湧水のムンカだよ」
そろって口調がぶっきらぼうになってしまいます。
「親水公園からやってきたよ」
ムンカは力無く答えます。
「シンスイ公園? 聞いたことがないな。水浸しの公園なのか」
ビッカは目玉を回しながら笑いを漏らします。ムンカもつられてプッとふきだしてしまいました。自分が笑われたわけでもないのに影男はおもしろくなさそうな表情を浮かべます。
平静になったビッカが答えます。
「確かに水浸しの公園だよ。でも居心地は悪くないよ」
「あんたたち、ビッカさんに湧水のムンカさん、この町は初めてだよね。ヒロムとはどんな関係なんだい?」
「ムンカでいいよ。今は『湧水』とは縁がないから」
「『この町』はもちろん初めてだよ。親水公園とはずいぶん離れている。説明しにくいんだ。ただ来るつもりで来たわけじゃなくて、ヒロムに連れてこられてみたいだ」
青い作業着のフードが小刻みにふるえます。
「連れられて? あんたらをヒロムが連れてきたのか?」
影男は驚きの声で言います。フードのふるえは驚きのせいらしい。
「意外かもしれないが、そういうことだ」
ビッカがうなずきます。
「ちょっとこみいっているんだ」
ムンカも付け加えます。
「それでここで何をしてる」
影男は不思議そうに尋ねました。
「見ればわかるよね。ブランコに乗っていた」
ムンカは笑いながらとぼけた口調で答えました。
作業着のフードのふるえが大きくなります。
「どういうことだ!」
口調が荒い。冗談が嫌いみたいです。
不機嫌な影男の様子を見てムンカが言い直します。
「本当は違うよ」
ムンカは真似をして短い両手をワイパーのように振って言います。
「それはあんたを呼び出すためだよ」
今度はビッカが答えました。
腑に落ちたらしく影男のふるえが弱まりました。フードがムンカに向き、次にビッカの方を向きます。
「なるほど。ブランコの軋む音につられてボクはのこのこ出てきたわけだ」
ビッカとムンカは笑みをうかべそろって頭を縦に振りました。
ムンカが影男に説明します。
「ヒロムが話してくれた。ブランコの揺れる音を聞くとあんたが現れるって」
影男はダブダブの作業着のからだを揺すって言いました。
「知っていて当たり前だな。長い付き合いだから」
「それで焼け残りのブランコに乗ったんだ」
「ボクの耳はブランコの揺れる音を聞き分けるんだ。ひどく軋んだ音は特に気になってしまう」
「職業病の一種だな」
ビッカが感心したように言います。
影男のフードが、笑って引きつったようにふるえています。
しかし、なぜ呼び出されたのか腑に落ちない。
「だが来てみると揺らしてるのはヒロムじゃない。あの子はどうした?」
「そのことなんだよ」
ムンカの表情は厳しくなります。
「全然面白くないんだ」
「というと?」
「ヒロムとはぐれてしまった」
笑うように震えていたフードがぴたりと止まりました。今度は影男のフードの縁が青黒く光リダします。顔色が変わったみたいに。
「はぐれるって、三人でいったい何をしていたの?」
影男はきつい口調で尋ねました。
ビッカは問い詰められているように受け取って目玉が上下に揺れます。
「月が綺麗だからね、月見がてらに夜の町を散歩してたのさ」
ビッカがとぼけた答えを不愉快そうに返します。
ムンカは尾っぽでビッカを叩きます。
「今のは忘れて。親水公園の湿地帯の沼に浮かんでいたヒロムを引き上げたんだ」
今度は影男のフードが色とりどりに点滅し始めます。
「月見がてらの散歩とか沼にヒロムが浮かんでいたとか、なんだそれは!どっちが先だ?」
ビッカとムンカが口々に勝手なことを言うものだから影男も困っています。
「ヒロムは沼で何してたんだ。泳いででもいたのか。どっちが先だ、お月見と水泳と」
「順を追って話し直すよ」
「そうしてくれ」
ムンカが説明します。
「親水公園の沼に浮かんでいたヒロムを助けた。それはいいんだけれど、屋根の上で月明かりに照らされて眠ってしまってからが問題なんだ。目が覚めたのはこの町の芝生の上だった」
影男のフードは静かに光っています。ムンカはもっと付け足しました。
 〈整備員に会った後ヒロムの家に行ったこと。でも彼の家ではなかった。行くあてもなく三人で暗闇を歩いてたこと。町外れに明かりが見えて行ってみると土でできたドームのような家だったこと。明かりの漏れる窓から見るとビッカに似た住人を見たこと。〉
 影男はムンカの話にずっと耳をかたむけていました。途中から左右の腕をワイパーのようにふりだしました。
ムンカは話を続けます。
 〈ビッカに報告しているうちに、ヒロムが一人で土のドームを見に行って窓から吸いこまれたこと。そして土の家は地中に飲みこまれてしまったこと。〉
 影男は次第に興奮してきます。ワイパーが早くなっています。
「それはキルカの小屋だ!」
その名を口にだした途端に作業着の震えが大きくなりました。
「ま、まさかキルカに出会うなんて」
影男はとまどった口調で言いました。
「おかしいぞ」
独り言のように言うと影男はその場でくるくる回りだしました。
「おちついてよ」
そう言ってムンカは影男の動きを止めようと作業着の袖を引っ張ります。
「キルカに告げ口されたらどうしよう」
影男の狼狽が止まりません。
「なにあわててるの」
「ヒロムが何を告げ口するって?」
ビッカも作業着の片方の袖をつか見ました。
影男はやっと動きを止めました。
ビッカはツンツンと作業着の袖口を強く引っ張って尋ねます。
「キルカって何者なんだ?」
影男は息をととのえています。
「公園の、遊具の管理人だと言われてる」
影男の声は緊張したままです。
「ヒロムは大丈夫かな。咎められてないかな」
「知ってることを話してくれ」
ビッカの赤い目が影男を睨むように見ます。
「ヒロムがボクと会話をしたとキルカにばれるとちょっとまずいかも」
「どうまずいの」
「だれがまずいんだ」
問われて渋々影男は答えます。
「小屋に呼ばれるかもしれない」
ビッカは表情を険しくして言いました。
「ヒロムはもう小屋に飲みこまれている。呼ばれるのはあんただろ」 
「さっきから自分のことばかり心配してる」
ムンカも呆れます。
影男のフードが点滅を止めて、危険信号のように赤く光っています。
ビッカとムンカはその様子をじっと見ます。何か焦っている様子です。
ビッカはじっくり尋ねることにしました。
「ヒロムと話をしたことが、都合が悪そうだね」
影男は答えられずただひたすらフードを赤く光らせています。
「もしかしたら、子供に話しかけてはいけないんだ。揺らしている最中は」
影男はフードを縦に揺らしながら答えます。
「もちろんいくつか約束事があります。話しかけると驚かせることもあります。小さい子なら気を取られて落ちることもないとはかぎらない」
聞いているムンカは次第にじれてきます。
「知りたいのはヒロムのことだよ。頼むから教えて。そのキルカに連れて行かるとどうなるの?」
影男は落ち着こうと深呼吸をします。フードの色が青っぽくなります。
「待ってくれ。ちょっと整理しないと」
影男の作業着が少しばかり膨らみます。
「まず親水公園の沼に浮かんでいたところから考えてみると」
「それはもういいよ」
ビッカとムンカが声をそろえて言います。
「ではヒロムがキルカの小屋に飲み込まれたということからだ」
「中をこっそり覗いていたから?」
ムンカの問いに影男はかぶりを振ります。
「もっと深刻なの?」
影男のフードがうなずくようにゆれました。
「公園のブランコから落ちたということなんだ」
「そのことはヒロムの口から聞いたよ」
「あまり正確じゃないけどね」
 影男の作業着が膨らんだりしぼんだりしだします。じっと見ているムンカが尋ねます。
「気になることがありそうだね」
フードがムンカの正面にむきます。
「不思議なことだ。ボクが知る限り一度だってヒロムは落ちたことがない」
真剣に聞いているムンカが尋ねます。
「公園でなくてどこか別の場所ってことだね」
「そうなるかなぁ」
影男は信じがたいといった口調でつぶやき続けます。
「そうなるとおかしなことになる。キルカは公園の遊具の管理人だと言われている。公園以外で落ちたらキルカに会うはずはない」
「ヒロムは親水公園の沼に落ちてきたよ」
「何か心当たりはどうなの?」
ムンカとビッカが交互に尋ねた。
影男は作業着の中のからだを震わせています。
ムンカは尾っぽで影男の腰あたりをたたいて返事を催促します。
「ヒロムと会ったとき、そそのかしていたよね。あのブランコはどこのブランコなの」
「人聞きの悪い言い方をする」
「いやそそのかしていた」
影男は言葉が出せません。フードがしきりに震えています。
ビッカが思い出して影男に尋ねます。
「もしかして、ヒロムが言っていた水の館のブランコのことかな」
「そこも公園の名前かと思っていた。月の庭公園」
驚いたムンカが叫ぶように言いました。
「公園の話が多かったから勝手に勘違いしてた。どうなの整備員さん、その館のブランコなの?」
黙り込んでいる影男にビッカとムンカは質問を浴びせます。
「揺らせる子が滅多にいないっていうブランコのことだよ。水の館なの?」
「揺らせれば大したもんだなんて、確かに聞いたよ」
ムンカは食い下がって聞きます。
「滅多にいないって言ってたけれど、揺らせる子はいたの?」
影男は首を横にふりました。
「ひどい!」
ムンカはなじります。
「どうしてそんな揺れないブランコを勧めたんだ」
ビッカも問い詰めます。
詰め寄られて影男は答えざるをえなくなります。
「ただうらやましかった」
力の無い声でボソリと言いました。空色の作業着の中でからだがちぢこまります。
ムンカは容赦なく言います。
「いったいどうして。何がうらやましいの?」
「ヒロムは気持ちよさそうに、楽しそうに揺らすんだ」
「それが悪いこと?」
「耳にあたる風はメロディーになるって言っていた」
「それヒロムから聞いたよ」
「埃っぽい空気が良い香りに変わるって」
「それらしいことも聞いたかな」
「見慣れて飽きてしまった風景だって変わるらしい」
「その話は確かに聞いた」
「でもどうしてそれがうらやましいと結びつくの?」
さめた声でムンカが言いました。影男は大きく深呼吸して答えました。
「ボクはブランコに乗ったことがない」
ビッカとムンカは顔を見あわせ信じられないと頭を横に振ります。
「整備員はブランコに乗ってはいけないんだ」
残念そうで、辛そうな言い方で話しました。
「整備した後に、乗ってゆらしてみないとわからないだろ」
ビッカが疑問を述べます。
「でもそれが決まりです。整備員になる際の誓約ですから」
影男はフードをを揺らしながら言います。
「それは気の毒だ。おかしな誓約つきとは」
ビッカは左右の目玉を上下させながら言います。
しかし、ムンカの表情は険しくなります。
「揺らせないブランコにヒロムを乗せてどうしようと思ったの」
「ただ困らせたかった」
ムンカは尾っぽを激しく振って叫びます。
「ひどい。そんなことが理由なんて。ちっとも揺れないブランコの上で自信をなさそうにしているヒロムを見たかったというわけ?」
影男は作業着の中で縮こまりフードを揺らしているばかりです。
「でも嘘を言ったつもりはない」
きっぱりと言い話を続けます。
「月の庭のブランコは揺らせられれば好きなところに行けるし、願いがかなうことさえあると言われているんです」
ビッカはしらけた様子で聞いていますが、ムンカは何か思うところがありそうな表情になっています。
ビッカは影男に向かって言いました。
「でもあんたの目論見は半分は外れだ」
「というと」
「ブランコは揺れたんだよ」
ビッカが答えました。ムンカも尾っぽを振りながら言います。
「そうだよ。揺れないと落ちないよ。そして親水公園の沼にヒロムは落ちてきてしまったんだ」
影男はかぶりを振りながら言います。
「いや、そうすると半分じゃない。全部外れてしまった」
作業着はしぼみ影男はうなだれます。
「あの子がブランコから落ちるなんて本当は信じてなかった。揺れなければよかったのに」
「確かにね。ちっとも揺れなければ落ちることもなかった」
ビッカも残念そうです。
「今ヒロムはどこにいるか見当がつく?」
気になっていたことをムンカが尋ねました。
「月の庭のブランコから落ちるとどうなるの?」
かさねてムンカは尋ねます。
「わからない」
影男も困った様子でフードを点滅させます。
「僕らの目の前でキルカの小屋に飲みこまれてしまった。公園のブランコからは落ちてないのに」
「ボクはキルカに会ったことがない」
驚いてビッカの目玉は回りだします。
「本当ですって」
影男もビッカの回る目玉には驚きます。その慌てぶりにムンカはふきだしてしまいます。
「でも長くやっているよね、整備員」
影男の作業着が誇らしそうに大きく膨ら見ます。
「この町にひとりだけじゃないよね、整備員は?」
「ひとりだけ。ボクはいくつかの町の整備員も兼ねている」
「でも仲間だっているよね」
影男はうなずきます。
「もちろん同僚はたくさんいる」
「良かった。それなら色々と報せが入ってくることもあるよね。仲間から聞いた話なんかがあってもおかしくないはずだ。何か聞いてない? 月の庭で落ちた子の話を」
ムンカが尋ねました。
「ブランコから落ちる子は毎年いるよ」
うんうんとうなずくムンカ。影男はその様子を話します。
「小さい子たちは油断してポテっと落ちて泣き声を上げる」
「確かに幼児ならポテっとだね」
「そんな子たちの落ちる音は大して大きな音じゃない。落ちてもキルカの目こぼしにあう」
「キルカに会えば小さな子なら泣き止まないよ、きっと」
ムンカが言います。
「キルカは怖い顔してるんだね?」
影男がビッカに尋ねます。
「見てない。見たのはムンカだ」
ビッカはぶっきらぼうに答えます。
「ビッカに似てるんだ。でも大きさはビッカの倍はあるよ。それに表情が険しくなると醜いよ」
似てると言われて面白くないビッカは聞いてないフリをします。
影男はビッカの顔を見ながら言います。
「仲間から酔っ払い男の話を聞いたことがある。酔いでもさますつもりかブランコを揺らしたらしい。派手に音をたてて落ちてしまった。整備員が駆けつける前にもう地面が盛り上がって小屋の入り口から飲み込まれたっていうことだ」
「知りたいのはその後だ。帰ってきた? その男」
ムンカの問いかけに影男は首を横にふります。
「嫌なことになってないかなあ」
ムンカは心配します。
「二度と公園に来なかったというだけもしれない」
影男はそう言います。
「多分酔っ払いだったんだろう。大人の男はしらふでブランコを揺らさないさ」
影男の作業着がブルブル震えます。
「でも、こんな話がある。その仲間が見た話だよ。大きなカエルのようなからだをした赤い目玉の生き物がその公園のブランコにポツンと座ってたというんだ」
「ムンカ、どう?」
「姿からするとキルカだと思うよ」
「仲間の考えだと、小屋にはいる前に名残りを惜しんでいたみたいだって」
「なんだ、それ。酔っ払い男がキルカにでもなったって言うのか」
「良くわからない」
影男の震えは止まりません。
「なんの手がかりにもならないな」
ビッカはため息まじりに言います。
 影男の空色の作業着から青がぬけてすっかり白っぽくなっています。よほどキルカのことが怖いようです。
「ずっと震えているけど、何をそんな気にしているの」
「どうせ自分のことだろ。話しな、何が怖いんだ」
「ボクのせいで、それも公園以外のブランコから落ちたことが、キルカに知られると‥‥」
「知られるとどうなる?」
「何か罰を受けるの?」
「多分咎められることは避けられない」
「たかが話しかけるぐらいで?」
「実は、整備員は遊具で遊んでいる子らに話しかけてはいけないんだ」
「やっぱり。何かあると思った」
ビッカはうなずきながら言いました。
「それよりキルカに連れ去られているヒロムだよ。どうなるの?」
ムンカは尋ねます。
「公園のブランコから落ちた子はキルカが直接回収する。でも落ちたところが違えば」
「我々の親水公園だ。見つけたのはムンカだ」
「公園以外のブランコだとわかれば、キルカはヒロムを追い出すはず。管轄の外になるから」
「追い出される! どうして家に返さないのさ。ここには公園だってあるのに」
ムンカは強い口調で言います。
「それって捨てられるみたいだなぁ」
ビッカは辛そうに言います。
「キルカがあんたを咎めに姿を見せれば小屋に乗り込んでやろうと思っていたのに、その可能性もないのか」
ビッカはそう言ってため息をつきます。
「ヒロムが追い出されるとしたらどこに出される? その場所が知りたい」
ムンカが尋ねます。
影男は作業着の中でうなだれた様子で言いました。
「それもわからない」
「あれもこれもわからないじゃなにもできない。全くどうにもならないのか」
諦めがつかずビッカの苛立ちがつのります。
「ビッカどうしたの。目玉に黒い筋が浮び出てる」
ビッカの赤い目玉に異状が浮かぶ。自分の目玉は見れないが、ビッカが情けなさそうに言います。
「赤い目玉に黒い筋か。一晩も経ってないのに老けちゃったみたいだ」
 影男の作業着に青みが戻ってきています。針の筵に座らされていたのが少しは落ち着いてきたのでしょう。
「おそらくですけれど、振り出しに戻るのかもしれない」
「それって苦しまぎれの思いつき‥‥」
とビッカが言いかけたところでムンカがさえぎって尋ねます。
「振り出しって、それはどこなの。行けばそこで会えるかもわからない?」
影男のフードが光ってうなずきました。
「ヒロムがブランコから落ちた場所のことだな。言いかえると乗った場所だ。親水公園でなくて」
ビッカは自分に言い聞かせるように言いました。
「しかしまるで双六だな。初めからやり直しか」
「でも可能性があるわけだよね」
興奮気味にムンカは尾っぽをふります。
影男が言います。
「ただし、」
ビッカの表情が暗くなってしまいます。気がついた影男が中断して声をかけます。
「どうしましたビッカさん」
急に丁寧な言葉遣いで話しかけられ、ビッカも改まった言い方に直します。
「『ただし』の後に来るのはいつも厳しい条件ばかりだよね。気楽には聞けないよね」
「それでもいいよ、話して」
ムンカは話を催促します。
「キルカのところを追い出されてもすぐに元の場所に戻れるとは限らない。キルカ次第だと思います」
「キルカ次第、ヒロムの態度次第だな」
「ヒロムが落ちたのは水の館の月の庭だよ。ヒロムが話していた」
「それにもう一度揺らしたいとも話していたぞ。懲りてないようだ」
呆れ気味にビッカが言います。
「ヒロムより先に行って待っていれば、また落ちるのを止められるよ」
「落ちた所は月の庭ですよね。風変わりなブランコがある所。ゆらせて欲しそうな風情で風に揺れていると言われています」
「どうして『月の庭』なんだ」
ビッカは夜空を見上げながら言いました。
「親水公園の月は青く澄んでいて居心地が良かった。ここの赤黒い月は目を背けたくなる。おまけにまた形が変わっている」
ムンカもつられて空を見ます。
「本当だ。満月になったり三日月になったりと忙しいね」
ムンカはさして気にする様子はありませんが、ビッカは気になってしまいます。形が変わるのは世界が変わるのと同じだとビッカは考えます。
ムンカは顔を下げ影男に向けて言います。
「その月の庭はどこにあるの?」
「隣り町です、ムンカさん。その庭は新月の日にしか姿を表さないらしいです」
「真っ暗な夜じゃないか。月の出てない夜だ。どうやって探す」
「そそっかしいよビッカ。別に夜に探そうと言ってないよ。明るい昼間でいいよ。まずその屋敷に行けばいいよね」
ビッカは左右の目玉を上下に揺らして返答します。
「その館は隣り町のどこにある。まさか月のように宙に浮いているわけじゃないよね」
「樹齢千年を超えている巨樹のある高台です。後方の山から谷川の水が庭にひかれている館ですよ」
「そこに行けば会える可能性がでてくるわけだ」
「すぐ行こう。案内してくれる?」
聞いていたビッカが呆れたふうに言いました。
「水の館とか月の庭とか、一体どこにあるのかと気になっていたけど、住んでいるものならば知らない方がおかしい。こんな分かりやすい場所なら、ヒロムが見逃すはずがない」
「目印の巨樹のことはひと言も話していません、ビッカさん」
「教えてなくてもヒロムが月の庭で落ちたことは間違いない。とっくに知っていたんだ」
ビッカに言われて影男もうなだれます。
「それに、ヒロムのようなブランコ好きが、揺れないものがあると言われて黙って見過ごすわけがない。まず探すよ。意地でも探すね」
「ヒロムはブランコマップを作っていたかもしれない」
「どういうこと?」
ムンカが尋ねます。
「隣り町のどの公園にどんなブランコがあるまで知っていた」
「作ってそうだね」
ビッカが目玉を回しながら言います。
「あんなに詳しく知っているのはきっと調べていたからだ。ボクの考えがあさはかだった」
作業着の中で影男のからだが縮こまりました。
「手遅れだよ」
「冷たい言い方しないでよ」
ムンカはビッカのもの言いに怒ります。
「あそこまで夢中になっていたとは」
「責任を感じるべきだよね」
ビッカは影男を責めました。
「これで決まりだよ。水の館まで一緒に行ってくれるよね」
ムンカも影男が同行することを求めました。


 続く

第一話

第二話

第三話

第四話


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