メルカトールの世界地図 日付変更線 二


 あの日、ぼくらの鞄の中には林檎がひとつ。
 
 地理の先生が不思議なことを言った。
 
 「来週の授業に林檎を持ってくるように」
 
 地理と林檎。
 
 (おかしなくみあわせ。尻とり遊びか。なんかの冗談だと思ったに違いない。)
 
 ぼくの鞄の中に林檎がひとつ。寒さが足らずまだ赤くない。
 
 
 地理の授業が始まった。
 
 みんなの机の上には赤い林檎がひとつ。

 地理の先生が林檎を持った。
 
 すると林檎が地球儀になった。
 
 これから林檎の皮を剥いてもらう。
 
 左手に林檎、右手に果物ナイフ。
 
 ナイフを林檎にあてる。
 
 左手で林檎を回して皮を剥く。
 
 ピーラーなら簡単なのに。
 
 指切ったらどうするんだよ。
 
 冗談っぽい雑音が地球儀に降り注ぐ。
 
 北極地方から皮にナイフを入れた。
 
 「ここが日付変更線だ」
 
 みんなも左手で林檎を回して皮を剥く。
 
 だれかが言った。
 
 「これって自転と同じだ。」
 
 「左手を止めちゃいけない、きみたち。地球が止まる」
 
 ざわつきが消えて静かになる。
 
 剥けたところからが光りがおとずれる。
 
 日本に朝がやって来る。
 
 
 
 「先生、左利きはどうしたらいいですか」
 
 ぼくは右手で林檎を回す。
 
 「なら、きみはマゼランの一行)だ。彼らは自転と反対方向に航海したぞ」
 
 左利きは朝から逃げて夜をさかのぼる。
 
 日付変更線を境に、ぼくは昨日のぼくになる。
 
 
 ぼくは火曜日にいて、きみらは水曜日に進む
 
 ぼくは夜をさかのぼり、夕方を迎える
 
 きみらは夜をぬけ、朝日をあびる
 
 遠ざかって、遠ざかる
 
 
 ぼくは陽に炙られ、きみらは水辺に憩う
 
 遠ざかり、遠ざかる。
 
 
 「また会えるよね」
 
 ぼくはきみに話しかける。明日のきみに
 
 きみはぼくに笑いかけた。昨日のぼくに
 
 
 きみが岸辺にあがるとき
 
 ぼくは凪の海に取り囲まれ、ただただ漂う
 
 遠ざかって、遠ざかる
 
 
 昨日にいるぼくが迎える次の日に、
 
 きみはもう待つことはない。
 
 「泣いてはいけない 、男の子だから」
 
 空と海のさかいが消えてゆく
 
 稲光がはしり雷鳴がとどろく
 
 雲と海が一つになって
 
 ぼくは包まれた。
 
 
 昨日にとり残されたぼくは
 
 マゼランの一行
 
 行けども見はてぬ水平線
 
 潮風にうたれ
 
 老いてゆく
 
 
 ぼくの右手には終わらなかった林檎がひとつ。



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