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軽やかに生きる

「生きる」ということを、そんなに重く捉えなくても良いのかもしれない、と、最近はそんなことを考えています。

 若い頃は、「何者かになる」ということが、イコール「生きている実感」でした。だからこそ、「何者でもない自分」を肯定できず、爪痕を、何らかの形で残していかなければ自分の人生には意味がないような気がして、何もできず歳を重ねていく自分に焦りと苛立ちを感じていたものです。

 けれど、人生って、もう少し「ラフ」で良いのかもしれない。自分なりに自分とまわりの人を大事にできているのなら、いつもじゃなくても「幸せだな」と思える瞬間を重ねていけているのなら、それで良いのかもしれない。40歳という、世間で言うところの「大台」をまたひとつ迎えようとしている今は、そんな気持ちで日々を過ごしています。

 やりたいことができる、それ自体が幸せなことだな、と感じるようになりました。これまで、翻訳も詩も含め、なんだかんだ、小さなことから大きなことまでやりたかったことはやってきています。「何者にもなれていない」と思っていた過去の自分も、振り返ればその時その時しっかりと足跡を残していたりして、それがいつの間にか道になってここまで来ることができました。

 人生は選択の連続で、自分自身ではっきりと決める時もあれば、流れに身を任せてみることもあります。その時その時でしてきた選択が正しかったかどうかは、他人のものさしで測られるものではありません。だから、どんな時も自分がした選択の責任は自分にあります。責任に対する重みはあるけれど (他人が関係しているときは特に)、有難いことに自分は色々なことを自由に選択することができるところにいて、だからこそ結果に対してできるだけ軽やかでいたいな、と思います。

肩の力を抜く―若い頃には苦手だったことが少しずつできるようになり、歳を重ねていくことを「楽しみ」に感じられるようになりました。

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