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ショパンの遺作を受け入れられたとき

どうも、約3ヶ月ぶりのnoteです。
もうすっごく忙しくて…
仕事もプライベートもバタバタ。
やっと落ち着いてこちらに戻ってくることが出来ました。
久しぶりのnote。
何を書こうか迷いましたが、今日はとある日の絵画授業で色々と考えさせられた出来事があったので、その時のエピソードと私の気持ちを書こうと思います。


2023年、秋。
日本美術界は大きな宝を失いました。
現代美術家 村上友晴先生がご逝去されたのです。
村上先生は私の先生の先生。
実際にお会いしたことはないけれど、授業中何度もその名を聞き、自然と憧れになっていた雲の上の存在。
現代のレオナルド・ダヴィンチと言っていい程、素晴らしい技術を持つ画家なんだけど、個展では全く宣伝をしないし、メディアも一切入れない。だから知らない人も多い。商業的になりがちな日本のアートでホンモノの芸術を追求し続けた、画家の中の画家。
そんな村上先生の回顧展が昨年末から年始にかけて開催されていたので、手を合わせる意味も込め足を運んできました。
圧巻の作品達に言葉を失い、自分がいかに未熟者かを思い知らされた回顧展。
それらの作品の中でひときわ大きく、そして異彩を放っていたのが、描きかけの先生の遺作でした。
これで完成と言って良いほどの出来で、事前に未完作だと聞かされていないと分からない程にクオリティが高い。
実はこの回顧展を開催するにあたり、ギャラリーの方は村上先生の許可なくこの絵を発表することに躊躇いがあったそうで。かねてより親交のあった私の先生(紛らしいので以下師匠)にも発表すべきかの相談があったらしいのですが、私の師匠は二つ返事で「もちろん発表した方が良い」とおっしゃったとのこと。授業中、師匠からその話しを聞いたとき、とても悲しくなったのをよく覚えています。
だって、村上先生は絶対に妥協しない人。そんな人が自分の未完作を勝手に発表されるなんて嫌に決まっている。師匠は先生のことを誰よりも理解しているはずなのに、簡単に発表するだなんて、あまりにもひどいんじゃないかと。
しかし、いつになく「あの絵に村上先生が見える」「絶対に発表すべき」と熱弁する師匠の姿を目に、ふとある人物とエピソードを思い出してハッとしました。それは、音楽家ショパンの親友フォンタナと、彼に纏わるショパン死後のエピソード。

ショパンも村上先生と同じくらい、絶対に妥協しない人。いつだって完璧な作品だけを発表してきたショパン。そんな彼が亡くなる前、死後は未発表作を破棄して欲しいとフォンタナに頼んでいたのです。しかし、フォンタナはその約束を破り、遺作としてその曲たちを発表しました。
私は、そんなフォンタナの行為はショパンへの裏切りであり、音楽家としてのプライドを傷つけるものだと思っていたので、このエピソードを知ってからはショパンの遺作曲を聴いていませんでした。自分がショパンの立場だったら絶対に聴かれたくないと思ったので…私なりの弔いです。
しかし「村上先生が見える」と遺作の発表を望む師匠の熱い眼差しに、フォンタナのそのエピソードが重なって見えた時、フォンタナの行為は裏切りではなかったかもしれないと考え直しました。

村上先生と私の師匠はライバルであり、お互いの芸術を認め合う良き理解者。
そしてまた私の師匠も、村上先生やショパンに負けないくらい、一切妥協は許さない人。常に全ての作品が完璧で駄作なんてありません。
そんな私の師匠お墨付きの、村上先生の未完作。
師匠が認めた作品だからこそ、村上先生も空の上から安心して回顧展を見ていられたはず。
きっとフォンタナも、残された遺作たちのその完成度の高さに驚き、友として敬意を払い発表した。そう思い直した時、私の中の遺作に対する胸のつっかえが少し取れた気がしました。

今となっては、フォンタナの思いもショパンの気持ちも誰にも分からない。
だけどショパンは、フォンタナが自分との約束を果たさ(せ)ない可能性だって想定できたはずで。
それでも彼に遺作の破棄を頼んだのは、フォンタナ自身の手で発表されるなら良いと思ったから。

村上先生の作品を見るとそう思わずにはいられなかった。

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