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【ショートショート】1985年の贋作小話 その96 「山椒大夫」

 天秤桶を肩に担いだ人買いが奴隷使いの山椒大夫のもとを訪ねました。例によって売れ残りを押し付けようというのです。前の桶の底には五つばかりの男の子が、後ろの桶の底にはもう少し大きい女の子が、どちらも気持ちよさそうに眠っています。
「こいつらは姉弟でしてな。ふたりまとめて買ってもらえれば、うんと安くしとくですがな」
 桶の底の子らはどちらも色白の器量よし、まとった着物も粗末なものではありません。どうして売れ残ったのかと山椒大夫はいぶかりました。
「買ってやってもよいが。しかし、いの一番に売れていきそうなこの子らがどうして売れ残っておる。なにかわけでもあるのか」
 人買いは痛いところを突かれたとでも言うように、手のひらを額に当てました。「いえいえ、めっそうもありません。見ての通り血筋の良い子らでしてな。少々高い値をつけすぎまして。いやはや、いつまでたっても商売が下手で・・・」人買いはわずかばかりの金を受け取ると、姉弟を桶の底からひょいとつまみ出し、そそくさと帰って行きました。
 つまみ出された姉弟はかたい床の上でまだ眠りこけていました。見れば見るほど美しい姉弟でした。長じてどれほどの若者になるのか、山椒大夫は良い買い物をしたものだとほくそ笑みました。
 姉弟が目を覚ましたのはそれからずいぶんと時間が経ってからのことでした。「ああ、よく眠ったこと。でも、そういえばあの人買いに何やら薬を嗅がされたような・・・」姉は大きなあくびをしながら背中を伸ばしました。「姉上、ここはどこでございましょう。それにあのお方は・・・」姉弟は目ざめたての瞳をまぶしそうに山椒大夫に向けました。
 山椒大夫はその時はじめて姉弟が売れ残った理由がわかりました。まぶしい光の中で姉弟の瞳孔は針のように縦に長く伸びていました。犬だろうとロバだろうと構わないのですが、猫だけはだめです。猫は働くのが嫌いなのですから。
                           おしまい

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