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自分でつくれる、ささやかなたのしみ。


「たのしみ」っていうのは案外、自分の手のなかにある。

馬を水辺に連れて行くことはできても、水を飲ませることはできない。
山梨のおじいちゃん(91)の口ぐせ(ことわざ)

これってなにかを「たのしむ」にもつながることだと思っていて。

“たのしもう” という思考ひとつで大抵のことはなんだってたのしくなる。どうしてもやりたくないことを無理やりたのしもうというのはむずかしい話だけれど、はじめはちょっといやいやでも 気づかない間に夢中になっているのが理想かなぁ。


おじいちゃんの口ぐせを借りると、わたしができることはせいぜい “お水を飲みたくなるように仕掛ける” ことなんじゃないかと思う。

馬を無理やり走らせて水を飲まざるを得ない状況をつくるのはあんまりスマートなやり方ではないので、「その水だったらわたしも飲んでみたい!」とか「思わず走っちゃったからちょっと水ちょうだいよ!」みたいな、なるべく自然な流れで水を飲んでもらいたいだけで。もちろん、連れて行く水辺の水はちゃんとおいしいということは大前提なんだけどね。

回りくどくなってしまったのだけれど、そういうことなんだと思う。


たのしもうと思えば、なにもない道を散歩するだけでもたのしいし、翌朝のごはんへ向けてパンを買ったりジャムを買ったりするのもたのしい。お部屋の掃除だってたのしめるし、早起きだってたのしくなる。

どんな状況でも、ちゃんと自分がたのしめる環境を整えていくイメージかな。それに対しては案外貪欲かもしれない。

まぁ、わたしの「たのしみ」はすこぶるハードルが低いらしいので、わりと簡単になんでもたのしいんですけどね。おいしいものを食べることが大半を占めている気がするので。


「たのしみ」っていうのは多分、手に入れるものではなくて、自分の手でつくりだすもの。その過程のことをきっと「いい時間」と呼ぶんだろうな。

あいだにある時間まで抱きしめたくなるような、そんなプロダクトをつくりたい。

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