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くすのき交換ノート第二弾!「私たちの暮らしの、今とこれから」

土曜日の朝、四角い画面をのぞき込み、寝ぼけ眼で「おはよう」「いい天気だね」なんて言い合うところから今日もスタート。
無機質な画面越し、誰かの寝癖や起きたばかりのかすれた声を認識するうちに、じんわり体温が上がっていく。     
徐々にヒートアップした議論と共にあっという間にお昼を迎える。

くすのきの勉強会で、毎週恒例になってきた休日の過ごし方。     
そして、これは参加者が自由に思いを綴る交換ノート。(第一弾はこちら
かずやさんから不意打ちのバトンがまわってきたので、私が感じたことをつらつらと書き連ねていこうかな。

さて、今回は「私たちの暮らしの、今とこれから」がテーマ。      
自粛生活が長らく続き、誰もが暮らしの変化を強いられている日々。
まずは、それぞれの近況を語らい、自身の現在地点を確認した。

その後「『街をひらき、暮らしを結う』とは、何か。」という問いに集う。

ナビゲーターの高浜さんが「今、とても寂しい」と唐突に切り出し、
「このさみしさはどこから来るんだろう」と、暮らしにまつわるレクチャーが始まった。(詳細まとめきれないので気になる方は高浜さんへ!)

27ページにもなる資料をもとに江戸から令和までの社会を一気に駆けめぐるのは、なんだか映画を観ているようですごく面白かったなあ。  
浮かんでくることが際限なく膨らむけど、ここでは4つ。

① 「家族」なんて存在しなかった


私たちが日々自由に営む暮らし。それは、文明、産業技術、経済などが絡み合い、時代の移り変わりと共に国策から都市計画、住戸計画へと落とし込まれていったものだったのだ。

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疑うこともなく暮らしを共にする家族は、近代化により国を強くするために政府によってつくり出された概念だった。nLDKとでっかく張り出されたステータスは住宅政策から始まり、街中に覆われたコンクリートやこの間取りによって人との繋がりは制限された

なんだか愕然とするような、腑に落ちたような・・・

暮らしを取り巻く歴史を遡ることで、私自身としては「個人は国や社会といった大きな流れに紐付いている」という当たり前のことがストンと入った気がする。

② 共同体の力を信じる


ここ2,3ヶ月、世界中が危機に見舞われるなか、個人としてどう社会に対峙するか、ばかり考えていた。
個人か社会かの二者択一でいつも頭の中が埋め尽くされていた私は、共同体という概念がすっかり抜け落ちていたのだと思う。

個人は、社会的文脈から切り離せず取り巻く環境と合体して流動するもの。
だから、一人ひとり異なる存在がつながり補い合って、共同体として歩んでいけたらいいんだ。

ひとつの問いだって、あらゆる分野に派生し、あっちからの視点とこっちからの視点を重ね合わせて見えてくるものがある。
一人じゃ全方位見きれないから、みんなで手分けして。

今回も総論としての「暮らし」から論点を整理して、みんなの興味関心によって各論で深めていきたいね、という話になった。
個人と社会、専門と他分野、あらゆる二項対立のグレーゾーンを自由に往き来し合えるように柔軟でありたいな。
くすのきは、そんな気付きをくれるだけでなく、それが実現できるところだと思う。

③ 暮らしを結う

暮らしって、いろんな要素が包摂されている。
人(世帯構成やご近所関係)、空間(光、匂い、音、材質)、機能や目的(睡眠、仕事、子育て、趣味、一家団欒とか)、立地、周辺環境など・・・
重要視するものはみんなそれぞれ違う。

だから、核家族や一人暮らしは孤独、という前提には、ちょっと違和感。
おひとりさまでも満ち足りた暮らしをしている人はいるし、一つ屋根の下、大家族で過ごしていても孤独を感じる人はいる。暮らしの豊かさは、きっと共に生活する人の数だけで決まらないはず。

暮らしを結うというのは、これまで閉じていた何かを少し開いてみて、掛け合わせることにより新たな模様を織りなすことなのだろう。
その何かは、人との繋がりかもしれないし自然や空間かもしれないし、何だっていい。

掛け合わせの可能性は数多くの魅力的な事例を聞いてより膨らんでいった。
私が最近気になっているのが、人と自然、高齢者と子どもを繋ぐ手法。
コレクティブハウスやコウハウジングと呼ばれるこの暮らし方は、北欧で発祥し、アメリカでアレンジを加えられながら次々にできあがっているみたい。

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ちょうど先日この住まいについて教えてもらったばかりだった私は、勉強会中、他の事例と照らし合わせながら、理想の暮らしに思いを馳せていた。
中庭や菜園を共有したり、別に気分に合わせ共同のキッチンやリビング、アメニティを使ったり。費用を抑えて入居するご年配の方が親のいない子どもの面倒を見るなど、それぞれ役割を担い支え合う。   

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シェアハウスとの違いは、住民はそれぞれ独立した住居に暮らしていること。各々のプライバシーを担保しつつ、隣り合う家族や住民みんなが共同を前提に住居区を形成している一つのコミュニティ。
パーマカルチャーやエコ・シティといった都市計画の文脈で語られることもあり、教育、福祉の面から見ても面白そう。


④ どこまで街を開くのか 


いろいろ考えていくと、アスファルトが敷き詰められた街で、コンクリートで覆われた壁のお隣りに誰が住んでいるかも分からないような現代の生活は、ちょっといびつなのかもしれない。

ただ、一方で、人が孤独を感じる理由はそれぞれ異なるように、共同、シェアばかりで億劫になる人とかいないのかな。
一人が好き、なるべくこじんまり完結させたい、みたいな。

地縁に重きを置くと同質性が高まり、多様性を求め範囲を拡大すると個々の帰属意識がどこへやら根無し草みたいな存在が増えるかもしれない。
正解はないからこそ、このバランスがすごく難しいな、と思った。

ほかにも「オンラインが充実するなかでリアルな街を充実させる必要はあるのか?その意義は?」など、みんなの視点も面白くて、議論が尽きない。


これはほんの序章で、始まりはまだまだここから。

今回も素敵な時間をありがとうございました!
暮らしを結う。あなたなら、何を開きどうやって暮らしを編みあげますか。
みんなとなら、どんな街ができるんだろう。とっても楽しみです。

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