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ロビーの人差し指 Footballがライフワーク Vol.23

2014年なら開幕戦、BGMが終わっても国家斉唱を止めなかったセレソンの姿を思い出す。ネイマールやダビド・ルイスが肩を組みながら声を張り上げ、ホスト国の代表としての気迫や高揚感を漲らせていた。2006年の主役は良くも悪くも、その大会限りで引退したジネディーヌ・ジダン。準々決勝のブラジル戦で往時の輝きを取り戻し、全盛を謳歌していたロナウジーニョやカカーを退けたかと思いきや、イタリアとのキャリア2度目の決勝では頭突きを見舞うまさかの暴挙、優勝杯を背に引き上げた姿は忘れがたい。わが国で共催された2002年、直前の負傷からカプセル療法で復活したデイビッド・ベッカムは、初陣のスウェーデン戦でボールを持つたび、万雷の声援と眩いフラッシュ光線を浴びていた。観戦してきたワールドカップを振り返れば、すべての大会に記憶に刻まれた場面がある。

なかでも印象深いのは、1998年大会の開催国フランスとイタリアの対戦。初めて観戦したワールドカップの準々決勝だった。フランスにはマルセル・デサイーやローラン・ブラン、イタリアにはパオロ・マルディーニやジュゼッペ・ベルゴミ。互いに傑出したゴール前の門番を揃えたスコアレスゲームは延長でも決着がつかず、もつれたPK戦。先行のフランスは一人目ジダンが確実に決め、続くイタリアの一人目はロベルト・バッジョだった。その4年前、決勝のPK戦で失敗してブラジルに優勝を明け渡した当人は、ポニーテールが短髪になり、エースからスーパーサブへと立場を代え、後継者アレッサンドロ・デル・ピエロとの交代で途中出場していた。地を這うシュートを成功させるや、容姿端麗なアズーリの至宝は、口元に人差し指を添えた。直前のジダンが両手を掲げて歓声を煽ったのとは対照的で、相手に負けじと放たれた声が小さくなった瞬間、スタンドとの一体感に身震いを覚えた。

あのとき、なぜバッジョは声援を諌めたのか。同じPK戦で涙を呑んだ自らの経験上、後続のキッカーには静穏な環境を与えてあげたい、そんな思いやりからの行動ではなかったかと推察する。その後、ルイジ・ディ・ビアージョのシュートがクロスバーに阻まれ、イタリアは3大会連続でPK戦で敗退する憂き目に遭う。失敗したもう一人のキッカー、デメトリオ・アルベルティーニのもとへいち早く駆け寄ったバッジョは、両腕を差し伸べてその身を起こしていた。優しい人は、えてして報われない。美しさと勝利は、両立し難い。「イタリアの希望は、金属の音とともに消えていきました」―苦い教訓をもって感傷に浸る中学3年の心に、山本浩アナウンサーの名実況が追討ちをかけた。

大迫勇也に古橋亨梧、26枠あればどちらかは選ばれると信じていたのがともども落選、神戸サポーターとしては落胆を禁じ得ない。「今度こそベスト8」を期待する声も聞かれるが、その前に立ちはだかる壁はあまりにも高い。今回のグループリーグを突破できたとしたら、その時点でベスト8に匹敵する価値があるというものだろう。7大会連続のワールドカップ、初出場から四半世紀近い時間が経過しても、わが国でフットボールがどこまで理解されているのか、いまだ首を傾げたくなる。冒頭の2014年大会、優勝へ邁進したブラジルは、準決勝でドイツに惨敗を喫した。王国の肩書も消え去りそうな7失点だったが、その惨劇は、坂元裕二が『花束みたいな恋をした』のなかで2度に渡り引用するほどの語り草となった。開幕まで10日足らず、今大会ではどんな名場面に出会えるだろうか。それを日本代表が届けてくれたら最高だが、日本代表ばかりに囚われていては、見えてこないものがこの祭典にはある。

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