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平和の正体 第3のリベロ Vol.7

「欧州選手権決勝のイングランドの応援でお子さんが夜更かしして登校が遅れても、遅刻扱いしません」。唯一のW杯を手にした1966年以来、メジャー大会で55年ぶりの決勝進出、ロンドンでは複数の小学校が校長先生名義で保護者向けにメールを発信したという。睡眠不足で登校するより、十分な休息をとって学習できる状態で登校してほしい。子どもたちに観戦させてチームワークや不屈の精神、場合によっては失望について話し合うことも学びの機会だから、「試合を楽しんでください」というメッセージを届けた学校もあったようだ。決勝まで最少失点で勝ち上がり、舞台は聖地ウェンブリー。多くの国民が確信していたに違いない栄冠が、ルーク・ショーによる開始早々の先制点でいよいよ手中に収まるかと思いきや、決着はPK戦へ。マーカス・ラッシュフォード、ジェイドン・サンチョ、ブカヨ・サカ、後半のキッカーを任された次代を担う3人が、連続して全員失敗。夜更しした子どもたちは、彼ら3人に浴びせられた誹謗中傷とともに「失望について」学ぶことになった。とはいえ、教育現場もフットボールに夢中な国民感情に寄り添う姿勢はさすが母国、感心すると同時に和ませてくれるエピソードだった。

翻って、わが国はどうだろう。国内最大級の野外音楽フェス「ROCK IN JAPAN FESTIVAL」は、今年も中止が発表された。同フェスはもともと、8月の5日間にわたる開催が予定されていて、地元自治体の承認も得て準備が進められていたところ、開催地である茨城県の各医師会からの要請を受け、やむなく中止に至ったらしい。「誰かが不幸になるんじゃなくて、みんなで幸せになる方法はないのかな」とツイートしたのは、出演予定だったKing Gnuの井口理。開催か中止かの二者択一ではなく、「間」をとって折り合いを付けることはできなかったものか。案の定、「五輪はできるのに」という嘆き節が聞かれ、開催しても非難、しなくても不満の声が噴出する状況は、とても世知辛く思える。来週に開幕が迫ったその五輪は、首都圏での無観客開催が決定。貴重なチケットを手にしていた人たちの落胆ははかりしれないが、国民はいま、そんな「呑気な意見」が聞き入れられない息苦しさ、堀江貴文が「ノイジーマイノリティ」と表現した人々が醸し出す緊迫感に覆われ、相互に監視するような状況に置かれている。学びの機会だと捉えるほどイベントに寛容な国と、危険因子と見なして目の敵にする国、精神的に豊かな国はどちらだろうか。

以前の投稿でも触れたが、学校で運動会の中止が迫られる状況に対し「なぜ五輪は開催できるのか」と、他ならぬ教員がこぼしたというニュースを聞いたとき、「五輪に比べて運動会はレベルが低い」などという意見の可笑しさは、逆も然りということに気付かない感覚に愕然とした。ワイドショーでは、あるお笑いタレントが「自分はスポーツイベントに興味が無いから、五輪が無くなれば騒ぎが起こらなくて清々する」と、一つの笑いもとらず真顔で発言していた。自分たちができないことは、他でやってほしくない。自分たちが興味の無いことは、無くなってくれて構わない。ひどく自分本位なメッセージがもっともらしく発せられてしまうほど、国民が疲弊して視野偏狭に陥っている現実を思い知らされる。こんな状況で、五輪など開催している場合ではないのかもしれない。ただ、こんな状況だからこそ、観る人々が少しばかり息を抜き、つかの間でも目線を変え、いくらか肩の凝りをほぐす力になってくれるのではないかという微かな希望も捨てきれずにいる。それこそは、「平和」と謳われるものの正体なのではないだろうか。

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