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小さい秋 第3のリベロ Vol.10

新しいわが家の近くは山に囲まれていて、近隣の人びとにとってハイキングコースのようになっている。それぞれ展望台や茶屋を備え、晴れた日は神戸港の先に大阪湾まで見渡せるが、低山ゆえ普段着で気軽に登れるのがいい。ほんの少し前まで大半がTシャツだったのが、長袖の人が増えてきた。これから木々が紅葉に色付き始める季節、通勤する足を山道へ向けられたら―このところ毎朝、そんな気分にかられてしまう。塩屋・丸山線を進めば、隣の区まで15分前後。自然が豊かな環境は、運動習慣の無い怠け者ですら、週末くらいは身体を動かしたい気分にしてくれる。近づく健康診断、せめてもの対策に散歩してみると、須磨と垂水の境界を往復する小一時間で汗ばんだ。空は雲ひとつ無い秋晴れ、偶然見つけた市民花壇はコスモスが咲き誇り、悪玉コレステロールにはともかく、心の健康には間違いなく効いた。

同じ山でも、こちらはスケールが違う。雪と紅葉が一枚の写真に収まる絶景に、思わず目を奪われた。汗ばむ陽気も一気に冷え込み、季節が段飛ばしで移ろった今週、上空に熱が逃げる放射冷却という現象により、登山客を愉しませたのは谷川岳だった。これほどの景勝地を擁する群馬県なのに、都道府県魅力度ランキングでは下位に沈み、知事が法的措置の検討に言及する騒ぎになったという。ランキングを構成する「魅力度」なる指標は、メディアの露出や知名度に負うところが大きいようで、それらは必ずしも当てにならないと、逆説的に教えるのがこのランキングの企図なのだろうか。そんな想いに耽りつつ、仕事帰りに書店へ。前向きに変化に踏み出すための具体的な方法―たまには社会人らしいことに向き合ってみようかと、冒頭の一文に惹かれて自己啓発の本を手に取る。その名も、「働かないおじさん問題」のトリセツ。年齢だけはすっかりその域にさしかかってしまい、Will・Must・Canのフレームワークなど、自分を顧みながら何かしらの発見を期した。とはいえ、期待に応えられなければ、就労しているのに「働かない」とされてしまうことが引っかかり、身につまされるような想いと、シビアな世の中への憂いがないまぜになった。

近ごろ観た2本の映画は、ともに陽の当たらないところにフォーカスした物語だった。一つは「アルプススタンドのはしの方」。栄冠に輝く球児たちを、遠巻きに、斜に構えながら眺める人びと。晴れ舞台を逃した文化部、ヒーローになり損ねた元野球部、優等生やリア充に見える女子、暑苦しそうな先生。みな内心は無理しているようで、ささやかな物語がワンシチュエーションで展開される。どうみても甲子園とは思えない質素な球場など、低予算の苦労が滲み出ているところも微笑ましかった。もう一つは「BLUE/ブルー」。タイトルから、青春の群像と、ボクシングに情熱を傾けながら負けてばかりの主人公が定位置とする青コーナーを連想させる。松山ケンイチ演じるウリ坊こと瓜田は、エース格の同僚が初恋の人と結婚することになっても、彼を親身になってサポートする。自らボクシング経験者だという監督は、「何者にもなれなかった人の努力を肯定してあげたい」というメッセージを込めたとか。Wowowシネマの「W座からの招待状」のエンディング、コメンテーターの小山薫堂が語る「敗者が弱者とはかぎらない」という言葉が記憶に残った。

「何やのこれ、どんな保管しとったんかしら?」買い取ってもらうつもりが、お小言を聞かされることになろうとは。もう身につけることもない祖母の着物、少しでも高値がつけばと呉服屋に持ち込んでみたものの、女性店主の応接は冷ややかなもので、椅子にも座らせてもらえなかった。一銭にもならず持ち帰ることになった着物と気分が重いなか、頭を切り替えるため近くのうなぎ屋へ。グラタンやバジルソースなど、洋風の趣向を凝らした品々を味わううち、心はほぐれた。改めて、食は偉大だ。飽き足らず、帰り道はパティスリーへ寄り道。オレンジやベリーが詰まったタルトは底の生地まで柔らかく、メロンケーキも美味。そういえば健康診断を控えていたが、後ろ暗いとき、これは心の栄養だと言い聞かせながら食べることにしている。

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