友達が死んだ日

今朝、友達の訃報が入った。
友達の死亡推定時刻、私は歌舞伎町から逃げていた。
友達の通夜の時、私は1人、ディズニーランドにいた。
夢の国から帰ってきて目が覚めたら
友達の葬式は終わっていた。

夢の国の代償が大きすぎると思った。

私は全然元気だ。へいきである。
それは無理に元気を装っているわけでもなく
実感がまだなくて。

今の感情はどうだと聞かれれば
寂しい、あと少し怒っている。

葬儀に参列できなかった自分と、あとなんの挨拶もなしに逝ってしまった彼へのほんの少しの怒りだ。

事故か自殺かよく分からないらしい。

ソロキャンプ中の一酸化炭素中毒。

火を消し忘れて寝るような間抜けなやつだったかと聞かれると否定はできない。
遺書も残さず逝くような無礼者かと聞かれるとそれは否定したい。

彼の時間はもう動かないけれど

動けなくなった私と動かない彼を置いて

世界は進んでいくのだ。

同時に当然私の現実も動いている。

動けなくなっても現実は進んでいく。

僕が居なくても、彼がいなくても、世界は目まぐるしいほどに回り続ける。


めちゃくちゃ可愛がってて定期的に連絡を取る、大好きな後輩だった。

そして、その昔わたしに痛い失恋をさせた張本人でもある。そんなことは先程まで忘れていたのだけれど。ごめんって。
平成から令和に変わるその時、2人で一緒にいたね。一緒に令和にいけるの嬉しいとか可愛いこと言ってたね。名前も『れいた』だから韻踏めるとかそんなバカみたいな会話もしたね。
めちゃくちゃな水分量のすき焼き食わせてくれてありがとう。美味しかったよ。仕事でいっぱいいっぱいでなんにもできなかった私の部屋の掃除も洗濯もね、ありがとう。
でも私のHOPE吸ったことはまだ許してないし
私の仕事中、睡眠薬勝手に飲んで冷凍庫に謎にタオル突っ込んで帰って行ったのもマジで意味わからんぞ。
でも今の方がもっと意味がわからない。
姉御ごめんおつかれって言ってよ、遅くなる〜ってLINEして駅まで迎えに来いよ舎弟だったんじゃないのか。

スピってインドでブッダにでもなってろバカタレ後輩が。てか服役中のアイツにはなんて言えばいい?おまえのこと。
大学留年したことをやばいと言ってたけど人生退学する方がよっぽどやばいと思いますよ。


あと私達はそっちにはまだ行けないみたいだから、そこで大人しくよくわかんない音楽作って待ってなさい。


あぁ、さかにあいたいな。


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