僕が今になるまで(フリーター編)


フリーター編としたが、話は16歳に遡る。
16で初めてコピーバンドをはじめた
人脈だけはありがたいことにあったので集客は割とできる方だった。
1回も聞いた事のないハイスタだったりワンオクだったりWANIMA、眩暈SIRENとかのコピーしていた記憶がある。

高校生の時にやったコピー(眩暈SIRENの弾き語り系)


17歳で初めてオリジナルのメタルコアバンドをはじめた。
ここでみんなに言いたいのはバンド内恋愛は絶対だめということです。
色んな脱退加入を繰り返しては
まあそんなこんな理由でバンドはあっけなく解散した。
僕の中では永遠の青春だと思う。みんな元気にしてるかな。今では名古屋で頑張っているギターとしか連絡取れないけれど。

17の時のメタルコアバンド(笑)

18でまたメタルコア、ラウドのコピーバンドをした。なつかしいねハイジャムってイベントがあった。その時のメンバーともほぼ連絡は取れない、というか1人服役中だし。

メタルコアコピーバンド

そんなこんなで卒業のシーズンが来て、僕は通信で留年確定してたけど卒業ライブで解散してしまったバンドを再結成した。大モメに揉めまくったけど。

卒業ライブ

そうこうして僕のバンド人生は幕を閉じた。

もう客として徹してた。本当はバンドやりたかったけどもう諦めてた。
先輩バンドマンにだる絡みするクソガキだった。

そんな中僕に泣きながら電話をかけてきた1人の15歳の女の子がいた。僕はなーんにも聞かず家に来れば?とその子との生活をはじめた。わかる人は誰かわかるね。バイトもあまりできない彼女を食わせるべく僕は風俗、バー、ラーメン屋と掛け持ちをして生活をしていた。
彼女は申し訳なくなったと言って頑張って貯めたお金で引っ越して出ていった。
今度は僕が彼女を心配しすぎて同じマンションに引っ越した。

これと並行してとあるDJの男の子と出会った。
どちらも18とか19で定職にもついてない。
それどころか僕は限界風俗嬢。
でも二人共違う方向性でメンヘラをこじらせすぎて結婚して子供ができた。
みんなが反対した。当たり前だ。今僕たち2人がその場にいたら自分に流産キックしている。
子育てに追われバンドの方にも顔を出さなくなった。
喧嘩も耐えず夫婦仲も破綻していた。
余裕がなくて子供に酷いことを言ったりしたこともあった。(当たり前に子供に罪はなくてとても可愛い)
誤解のないように書くが、産まれてきてくれたことになんの後悔もない。ただ、浅はかな考えで産んだ僕自身に後悔と怒りは消えない。

余裕のなさは加速していた。熱でうなされていたある日、たまたま保育園が休みだった子供の些細なあーあやっちゃった、に対し全ての我慢と身勝手さが爆発し子供に対してトラウマをうえつけてしまったのだ。
そしてSOSを出したはずの旦那が、警察に通報した。警察到着時、私は自殺未遂の真っ最中だった。そのまま逮捕拘束正直その辺のことは落ち着くための眠剤を警察に食わされたので記憶が曖昧である。
気がついたら鉄格子の中、聞いたところによると鉄格子に噛み付いてまるで発狂したバケモノだったらしい。
そのまま警察病院みたいな所に拘束されて連れていかれ病名障害名の診断を下された。

自分がやった事、僕のその場を知る人から逃げるように出稼ぎと称し広島に行き、完全に家族から離れるようになった。
僕達の家族としての生活はここで終わった。
広島で色んな人と友達になって色んな経験もした。
もう、独身のような生活をしていた。
やっぱりアルコールに溺れていたが、趣味の範疇でしっかり心の回復もしていた。

やっと余裕が出来た頃、grafの募集要項が流れてきた。僕はバンドが、音楽が好きだったことを思い出した。
2022年10月 grafにバイトとして入社した。
そして心機一転きちんと書面にて離婚することも決め、福岡に帰ってきた。
福岡の家は酷い有様で離れているうちに借金もしていたようで、育児能力がない僕でもこれは僕の方が幸せにできると踏み、僕が親権を引き取ることにした。

そこからは出勤する度に友達が増えた。
友達だけじゃなくて一緒に幸せになれるって思ってた素敵な人とも出逢えた。(すれ違いからもうお別れをしているが今でも心から大事に思っている)

そして今に至るってわけ!
やっとやっとやっと子供と一緒に暮らすこともできる目処がたち、やりたくても諦めていたバンドを色んな人たちの協力の元始めることが出来た。

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