死にたいって思ったとき

はじめに

自己紹介の後の一発目のタイトルがパンチ強めです。
どうしてもこれは最初にあげたいって決めてました。

理由は、自分自身、

「死んでやる」

って思って実際、死ぬ覚悟をもって実行したことがあります。

まぁ生きてるんで、その程度やろ。って思うかもしれません。
けど、この経験って今の私には貴重だったよな。って思うのと、
死にたい、死のうって思っている人がいたら、参考にしてほしい。
そんな気持ちです。

きっかけ

自己紹介noteにありますとおり、
私は小中高と大学1.5年間の計13.5年間、陸上競技を続けていました。
勘の鋭い方は、大学の1.5年間ってとこが気になったと思います。
ちょうどこの13.5年目の時に自殺を本気で決意しました。

理由はシンプルです。

ずっと大好きでやってきた陸上競技(以下、陸上と表記します)を続ける事に挫折したからです。

陸上を始めた理由

そもそも私が陸上を始めた理由は、
シドニーオリンピックの高橋尚子選手のように夢と感動を与えることのできる選手になりたかったからです。そして、自分が得意なことは走る事だったので、それを生かしたいという思いから始めました。

あともう一つ理由があります。

うちは本当にお金がなかったので、
スポーツなら陸上はお金がかからないだろうという理由です。
けど実際は、かなりお金がかかります。
競技用のユニフォームとスパイクシューズにそれぞれ2万。
合宿や遠征費、親が必死に働いて稼いでくれました。

大学で挫折した理由

大きく分けると2つの理由です。

①大学の陸上部に馴染めなかった
②他人と比べた劣等感で疲れ切った

正直言うと、今でもこれが理由だったのか?と思う時があります。
けど、当時は本当に心が折れ切ってしまって、精神的にも病み、
驚くほど自暴自棄になりました。
今こうやって文章にしていると、
当時のことを思い出して涙している自分がいます。

理由①大学の陸上部に馴染めなかった

これは明らかに自分が間違っていたことが原因です。
自分が1番だと思い込んでいたんです。
すなわち、井の中の蛙大海を知らずだったんです。

大学の陸上部はほぼ全国のトップクラスが集まっていました。
しかし、私が所属していた跳躍チーム(当時、走高跳専門でした)は、
スポーツ推薦で入った人が自分よりも低い記録でした。
スポーツ推薦枠は埋まっているからとのことで、
私は指定校推薦で入ったのに、なんで?ってなりました。
そしてこの時に、自分の方が能力が上だって思ってしまったんです。
しかも自分では意識していないうちに、全部態度とかに出ちゃってたんです。

当然これに気が付く周りは、
そこまで大したことないのにあいつは何で見下してるんだってなりますよね。
最初は一緒に頑張ろうね。なんて言ってるけど、
気が付いた時には自分を応援してくれる人がいなくなってたんです。

仲間だけじゃなく、先輩や後輩、コーチもそうなるんです。

じゃあ試合で記録と結果を残して、見返してやろう。
そんなふうに思っても、力が入りすぎてうまくいかないんです。

どんどん悪循環に陥って、記録が伸びない。
遂には、結果が出せないのはコーチのせいだと思うようになり、
不信感ばかりを募らせていました。

おそらくコーチは全部見抜いていて、
改心させてくれようとしていたと思います。
けど私は、私にだけ風当たりが強い。嫌いなんだ。
と思うようになりました。

周りは、私の悪口を言って楽しんでる。
そう思うようにもなり、
自分が原因であったことを全く考えることができていませんでした。

理由②他人と比べた劣等感で疲れ切った

大学へ進学する際、学費と生活費を自分で出すことが条件でした。
大学の入学金と最初の授業料だけは出せるけれど、
あとは出すことができない。と言われて進学しました。

当然、アルバイトをしなくてはいけません。
けれど、部活と勉強とバイトの両立が想像以上に厳しかったのです。

部活終わりや休み、授業の合間のタイミングで
アルバイトをはじめましたが週2-3回が限度。

やったアルバイトは、ラーメン屋、個別指導塾の講師。
多くても月に5-6万でした。
これでは遠征費にすぐ消えて、学費まで手が回りませんでした。

なんとか短時間で1円でも多く稼ぎたい。

そんな思いから、スナックやラウンジの派遣で働くようになりました。
部活終わりに24時までバイトして、
朝の9時から授業、そしてまたバイト。

稼ぐことはできるけれど、身体がボロボロになり始めてました。

大好きな陸上の為に頑張るしかない。
学費が払えないと陸上ができない。

お酒が残ったまま練習、試合に行くことが多々ありました。

そんな時、どうしてうちはお金がないんだろう。
お金があればこんな辛い思いをしなくても済むのに。
どうして?

みんなは好きな時にシューズを買うことができる。
お金を気にしなくて遠征や試合に出られる。
何も気にせず、練習に集中できる・・・

他人と比べてどんどん自己嫌悪に陥っていました。

そして


気が付いたときには、心も身体もボロボロでした。


自分の選択が間違いだったんじゃないか。

私の夢を応援するためになけなしのお金を出してくれた親に申し訳ない。

私は周りから嫌われている。悪影響なんだ。

私さえいなければ、悲しい思い、嫌な思いをする人はいなくなる。

私は存在価値のない人間なんだ。

毎日そんなことを考えるようになり、
高いビルを見るたび、どこから飛び降りようか。
電車が通るたび、ここから線路へ飛び込んでしまおう。
家に帰れば、どこを突き刺したらいいかな・・・



最終的には、家で包丁を持って、胸に突き刺そうとしましたが、
涙が零れ落ち、差し切ることはできませんでした。

陸上部を辞める

家で一人で泣きじゃくる毎日の中で、
こんなに弱い精神状態じゃ結果どころか記録も出せない。
自分はもうここまでだ。
親に辞めることを連絡して、部を辞めました。

当時、母親には
コーチが原因で辞めると言いました。

最後に

当時は周りのせいにして、
自分のことが見えていなかったです。

正直、つい最近までは、
自分が陸上部を辞めたのはコーチやチームのせいだと思っていました。

けど、冷静になって考えてみると、
自分の考え方が未熟だったんだなと気が付きました。

もし今、同じように自分のことを責めている人がいたら、
とりあえず沢山泣いて、今いるその場所を辞めてみてほしい。

実際辞めた後の私は、
自分の為にアルバイトをして、
自分の為に自由にお金を使って、
新しい仲間に出会うことができて、
無事に大学を卒業することができたし、
辞めた後の人生で今まで知らなかったことを知って、
いろんな挑戦をすることができました。

正直、辞めるって勇気のいることだけれど、
死ぬよりも本当に簡単です。

けど、死にたいって本当に思って、そこで思いとどまった時、
この後、どんな壁も乗り越えられるし、
綺麗ごとのようだとおもいますが、
人の気持ちに寄り添える人間になれます。

そうなったときに、
自分の価値は自分だけの判断で成り立つものではないってことに気が付けると思います。

最後がなんともまとまっていませんが、
ひとまずここまで。


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