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ブレーキもだいじ

目が覚めてから眠りにつくまで、1日のうち「しなければいけないこと」は一体いくつあって、そのうちいくつ片づけられているのだろうか。

わたしの場合、ぼんやり目が覚めてふとんのなかでうだうだしているうちに「やべ、あの案件は今日中に仕上げなきゃ」がはじまる。「あれ?明日出かけるってことは今日中にあれとそれやっとかなきゃ」が続き、「そういえば昨日できなかったこれもやらなきゃ!」と、脳みそが一気に酸欠になって飛び起きる。

あらためて文章にしてみて思う。
なんて心臓に悪いんだ。

納期は当然、守るべきである。
もし守れなければ、クライアントに迷惑をかけ、自分の信頼も失墜し、次から声がかからなくなるだろう。
それは困る。

困るけど、とっても極端なことをいえば、それが原因で心臓発作が起きてぶっ倒れるとか、拳銃で撃たれるとか、つまり死に至るようなことはない。

「生きてるだけでまるもうけ」なのだとすれば、生きてさえいればいい。

そう考えると、究極本当にやらなければいけないことなんて、ない。
食事だって1日なにも食べなかったとしてもまあ、ふらっとする程度だし、ひと晩寝ずに徹夜したとしてもまあ、ぼやっとする程度だし、1日中ふとんのなかでゴロゴロしていたとしても、日常生活に必要な筋肉がすべてなくなるわけではない。

起きた瞬間からわいてくる「○○しなきゃ」は、本来「したほうがよいこと」である。
自分の倫理観や責任感や変な生まじめさが、「したほうがよいこと」を「しなければならないこと」たらしめているのだ。

∽∽∽

少なくとも1ヵ月前ぐらいまでのわたしは、不安や焦りに突き動かされて「止まる」ということを忘れてしまっていた。まるでブレーキが壊れた車で下り坂に突っ込んだように。

でもね、それじゃあいつか動けなくなる。
交通事故か、あるいは下り坂が終わったときか、ガス欠か。

だからやっぱり、ブレーキもだいじなのよ。
前進したくてもできない状態を「アクセルとブレーキを同時に踏んでいる」とたとえることもあって、ブレーキを踏まないことが善とされやすいけれども、ブレーキはブレーキで必要。
赤信号で止まるために。ガソリンスタンドで給油するために。見通しの悪い道を安全に進むために。

がんばりすぎの状態には自分ではなかなか気づきづらいものだけれど、事故やガス欠で強制ストップする前に、ブレーキかけよう。

時と場合によってはサイドブレーキでも、パーキングでもいい。
わたしたちって「働きやすい環境」をととのえることには注力するけれども「休みやすい環境」をととのえようとはしないのよね。

なにかあってからじゃ、ちょっと遅いから。
そうなる前にブレーキをかけて休める環境・心の準備をつねにしておきたいよね。
いや、これは「しておかなきゃ」かも。



今日も読んでくれてありがとうございます。
あなたが「休みやすい環境」には、どんな要素が必要でしょうか?

【余談】
アクセル・ブレーキ・パーキングといえばこの曲


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