学びを楽しめる条件
先日、ChatGPTの使い方を学ぶ勉強会に参加した。
ChatGPTはじめ生成AIはもはやクリエイターにとって切っても切れないツール・テクノロジーだ。
2時間の講座のうち冒頭の15分で「このままじゃまずい」と悟った。
ChatGPTはあまりに便利だ。
さらに4.0は有料だけど3.5やGeminiは無料で使える。
憎いぞ!
坊主憎けりゃ袈裟まで憎い。
その日の講師の方まで嫌いになりそうだった。完全に八つ当たりである。あたり前だが先生はまったく悪くない。
今はまだライターとしてやっていけているけれど、この先もライターとしてやっていきたいのなら、なにかアクションをとらねば。
どうする。
現時点でわたしとChatGPTはつかず離れずの関係だ。ちょこちょこ使ってはみるが、何度も指示を出しなおすのが面倒で、「やっぱり使いづらいな」と、しばらく使わなくなる。
ChatGPTが使えないのではない。
残念ながらわたしがChatGPTを使いこなせていないだけだ。
そしてライターとして、ChaGPTとの対立構造へ持っていくのは、もはや得策ではない。
むしろ共存すべきである。
どんなにChatGPTが便利とはいえ、使うのは人間である。ライターの価値はきっと思わぬ穴にちょこんと潜んでいるはずだ。
ただ、その穴を見つけるためにはまず相手を知らねばならない。
敵を知り、己を知るというやつだ。
別にChatGPTは敵じゃないけど。
ChatGPTを使いこなしているライターさんに、講座の途中だがさっそくメッセージを送った。
どうやってChatGPTを学んでいるか、教材を教えてほしいと。
ポンポンとやりとりが数ターン続き、「この際勉強会しましょ!いつにします?」と、トントン拍子に話が進んだ。
ひとつ勉強会が決まったことで、焦りや不安がふっと薄らいだ。
もちろん勉強会に参加しただけでは不十分だろう。
だって現に今、勉強会に参加して不安がちょっと増幅してしまったのだから。
知っていて、使えるからこそ、人間の価値を把握できている状態に持っていきたい。
知っているだけでは足りないのよ。
ちょっと知っているからこそ不安になる。
使えるようにならないと。
勉強会は3月後半になった。
確定申●を考慮してのことだ。
さすがに確定●告を期限ギリギリまで粘るつもりはないが、「もしも」のための保険である。
申告は今月中に終わらせるとすれば、勉強会までに最低でも2週間はある。
すこしでも勉強しようじゃないか。
なんだか「やれる」気がしてきた。
たぶん、即行動したのがよかった。
「ググればわかりそうなことは、まずググる」はわたしの学びの基本スタイルだが、ググッてもわからないことはすぐ人に尋ねるに限る。
自分発信でスピード感を持ってものごとを動かすのは楽しい。
もちろん誰かに巻き込んでもらうのも楽しいが、楽しみの深さが違う。
自分発信は本当に自分がやりたいことだから。
誰かの発案に乗っかって、徐々に深みにはまっていくパターンももちろんあるけど、やっぱり自分発信のアクションにくらべると取り組む熱量がすこし下がってしまう。
それが短期間なら走り切れるけど、長くなるとだんだん負担にもならなくない。
迷惑をかけたらいけない、和を乱してはいけない、きっちりせねば…と。
単発・短期・自己発信
これが、自分が熱量高く取り組める条件っぽい。
裏返せば、その場の全員がノリノリのために「わたしはやめとくわ」と言えずにとりあえず乗ってしまった船においては、やる気もパフォーマンスも露骨に下がってしまうのがたまにキズ。
そんなことなら最初から乗らなきゃいいんだけど…ね。
瞬発力ある自己発信。
いつでもダッシュできるように、コンディションをととのえておきたい。
今日も読んでくれてありがとうございます。
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