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たまには毒を吐き出したい

やっと観た、インターステラー。
主人公が星から星へと旅するうちに、わたしは現実から夢の世界を旅していた。

…つまり、寝てしまった。
したがって、正しくは「ちょっと観た」である。

ふとんに横になって再生したのがよくなかった。
主人公が宇宙へ飛び立ったところまでは記憶がある。
次に気づいたときにはラスト30分の山場だった。

結末がわかってしまったため、もう一度観て記憶のない1時間か2時間を補填しようと思えない。
口コミは「何度も観たい」といった主旨のものも多くみられたが、わたしはもう満腹である。

∽∽∽

大部分寝てしまったためこの映画について語れることはほとんどないのだが、わたしはテレビや映画を観ながら、頭のなかでよくケチをつけている。

感動的なシーンも「どうせこれも台本があるんだろうな」とか、「いやーそれはちょっとこじつけじゃない?」とか。

本当に嫌な視聴者だと自覚している。

たまに、頭のなかに留めていたはずのことばが知らず知らず口をついて出てしまっていたことがある。
夫から「不愉快だからやめて」といわれて、それからは細心の注意を払うようになった。

テレビに向かって文句をいう人は、自分本位でわがまま、幸せが遠のく人だと、なにかで見聞きした憶えがある。

…まあそうかもしれないし、自分を擁護したいわけじゃないけど、頭のなかで思っているぶんにはいいんじゃないの?と思う。

そりゃわたしだって、文句を口に出す人間とは一緒にテレビは観たくないさ。夫の気持ちもわかる。

でも、口に出さなきゃいいんじゃない?
誰も不快にならないし。

わたしは気の小さな人間だから、ふだんあの人やこの人に対して、家族に対して、気を許した友人でも、「なんかちょっと引っかかるけど言えなかったこと、言わずに我慢すること」がある。

画面に向かって頭のなかで文句を垂れ流すのは、ある意味そういう「我慢しちゃったこと」のデトックスな気がしている。
わたしの頭のなかの声は画面の向こう側にはもちろん届かないし、誰も傷つかない。
しいていうなら「わたしってホント心が捻じ曲がっているな」と再認識し、自分にがっかりする程度である。

ものごとをポジティブに捉えようとか、ことばに気をつけようとか、日々取り組んではいる。
でもやっぱりそれが血となり肉となるまでには、まだ時間がかかりそうなのだ。

つまりちょっと無理してやっているところもあって、たまには毒づきたくもなる。

そうやってちょっとずつ毒抜きもしながら、幸せをたぐりよせられる人間になりたい。



今日も読んでくれてありがとうございます。
あなたが幸せをたぐりよせるためにしていることは、なんですか?

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