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「好き」は自分を裏切らない

アプリで読書の記録をつけている。
自分でもびっくりしたが、先月は10冊も読んでいた。(うち2冊は漫画だけど)。

幼少期、文字が読めるようになったわたしは、よーく絵本を読んでいたのだそうだ。じいちゃんばあちゃん家に行くときも必ず絵本を持っていき、大人に絵本を読んでもらうのではなく、みずから大人に読み聞かせしていたらしい…なんともまあお恥ずかしい。記憶にないのが救いである。

小学校時代の薄い記憶をたどると、ドラえもんの参考書やら、世界の偉人の漫画本をよく読んでいた気がする。『ヘレン・ケラー』と『キュリー夫人』は何度も読んでいたような…。内容を覚えていないどころか、その後日本史も世界史もまったく好きになれなかった点が残念でならない。

中学校に入ると音楽にぐっと興味が傾き、部活も塾も始まって、本からはしばらく離れてしまった。次の読書ブームは高校生~大学生のころ。乙一氏といしいしんじ氏が好きだった。

社会人になってからは、本なんて読む気力がわかない日々が続いた。読んだとしてもせいぜい仕事の勉強のため。小説やエッセイなどの「読みもの」はめっきり。

それでも、ようやくまた1周まわって、「読みもの」の読書がわたしの手元に戻ってきてくれた。最近は友人から東野圭吾氏を勧められ、8月に読んだ10冊のうち2冊は『新参者シリーズ』だ。
…夫も東野圭吾氏が好きで、うちの本棚にも同氏の本がずらっと並んでいるのに、今まで手を伸ばそうと思わなかったのもまた不思議。

∽∽∽

一度ぐっと深くのめりこんだものって、嫌いになって離れたわけでなければ、どんなにあいだが空いてもまたふっと戻ってきてくれるんだなあと最近よく思う。
…まるで学生時代の友だちのよう。あんなに毎日同じ時間を過ごしたのに、進路の違いで会う頻度が減って、まるっきり会わなくなって。でも友だちは友だちなので、何年も経って交流が再開することもある。そのタイミングは偶然でありながら唸っちゃうぐらいジャストミートの満塁ホームラン。

今まで、自分の人生を振り返るとどうしても残念な気持ちを抱かざるをえなかった。まったく線でつながっていないドットがあちこちに散らかっているばかり。「いったい今までなにをしてきたのだろう。なにも積み上がっていないではないか」と虚しくなった。

でも最近、ここ数年、ものすごい遠回りを経てぽつりぽつりと自分のもとに還ってきてくれている。ぜんぶが線でつながって、もはや面を形成しつつあるものまである。

今、わたしの人生は壮大な伏線回収の章に突入しているらしい。
であるならば、わたしの人生でまだ回収できていない伏線がぱっと思い浮かぶだけで3つはある。…いや厳密には「伏点」か。

好きなことは裏切らない。
いつか回収できるその日を楽しみに、引き続き「伏点」をばらまいていこう。



今日も読んでくれてありがとうございます。
あなたの人生、まだ線でつながっていないものは、なんですか?

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