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人の幸せを喜べないことについて夫と話したら愕然とした

夫との付き合いも長くなってきた。
夫を動物にたとえるのなら、牛である。

大草原で、仲間とのんびり、穏やかに。

ただし、牛は牛でもホルスタインやジャージー牛ではない。
キレたら止められないバッファローだ。

こうみえてもわたしはバッファローがキレないように細心の注意を払っているつもりだが、それでも数年に一度地雷を踏んでしまうことがある。


一方、わたしは夫からディディーコングといわれる。
いつもキーキーやかましく、落ち着きがないから。

そんな夫に、わたしは聞いてみたいことがあった。

「人の幸せを喜べないとき、どうしているのか」と。

∽∽∽

人間をやっていると、人の幸せを素直に喜べないときがあるだろう。
大人だけじゃない。
中学生ぐらいになればビターな気持ちを味わうものだ。

密かに想いを寄せていたあの子が、あろうことか自分の親友とつきあいはじめたとき
同じ高校を目指していたのに、自分は不合格で親友は合格だったとき


わたしは往々にしてある。
人の幸せを喜べないとき。

もう少し具体的にいうと、親しい間柄の人であるにも関わらず、彼・彼女のよい報せを見聞きしたときに、気持ちが茶色く染まっていく感じ。

「よかったね」「わたしも嬉しい」はもちろんある。
「おー、わたしもがんばろう」もある。
「おいおい、自分はなにやってんだ」もある。
「わたしもがんばっているんだけどなあ…」も、あったりする。
「なんであいつばっかり…」はしばらくないけれど、以前はあった。
喜びも、励みも、悔しさも、憤りもぜんぶある。

赤と青と黄色がぜんぶ混ざって、茶色になる。

なんか苦々しいじゃない。
「我が我が」がつっかえて、素直に喜んであげられない。
そういう自分の小ささにまた腹が立つ。

そういうとき、のんびり穏やかバッファローはどう対処しているのだろう。

∽∽∽

「仲いい人の良いニュースでしょ?喜べなかったことは、ないなあ」

開いた口が塞がらないとはこのことだ。
喜べなかったことがない、だと!
この世にいるはずがないと思っていた人種が、こんなにも身近にいたなんて。

人の幸せを喜ぶことは、バッファローにとっては呼吸と同じ。
逆にわたしができない理由も、苦い思いをしている理由も、理解できないらしい。

そして、自分が人の幸せを自然に喜べる理由も、本人はわかっていない。
そりゃあ答えられないよな。できちゃうんだから。

もうこの話題はこれ以上広がらないだろうし、聞いたとしてもわたしは夫のようにはできないだろうと察した。だって違いすぎるもの。

でも、そのあとよくよく掘り下げて考えてみると、夫のような穏やかさを持つ秘訣はたぶん「動じないこと」だ。

∽∽∽

バッファローはその広い視野で草原の風景を捉えている。
だが風景は風景以上でも以下でもないのだ。

雨が降っていますね。
鳥が飛んでいますね。
水場がありますね。
ということは肉食動物もたむろしていそうですよね。
あらあなた、よいニュースがあったんですね。おめでとう。

自と他を明確に割り切っているというか、
自分は自分、鳥は鳥、雨は雨であって、鳥にも雨にも影響を及ぼされていない。

心のパーソナルスペースが大草原なのだ。
決して人に心を開かないわけではなく、己のスペースを広くとっているから、雨も鳥もどこか遠くのできごとのように捉えているのだと思う。

バッファローはおかんがよくいう「よそはよそ、うちはうち」を無意識にできる人だ。
感情に乏しい人だなあと思っていたのだが、違う。
感情はある。
でもスペースが広すぎてなかなか響いてこないと表現するほうが正しいだろう。


一方のわたしはといえば
雨が降れば濡れるだの洗濯物どうしようだのとひと騒ぎし、
鳥の声にもいちいち驚き、
水場があれば嬉しくてキーキー騒ぐが
肉食動物の登場で尻尾を巻いて逃げる。

毎秒毎秒、すべてに反応している。
自分をおびやかさないものに対しても、自分が勝手におびやかされている。

そう、バッファローはこんなことも言っていた。
「人のことが気になるのは、自分に集中できてへんのやろ?」

…おっしゃるとおりです。

∽∽∽

バッファローのように「動じない」「反応しない」というのは、なかなか難しい。
ただ、反応しても「すぐ戻る」なら意識できる。

わたしは人の幸せを素直に喜べないとき、自分に問う。
「それを喜べない自分でいいのか?」と。
唇を噛みながらでも「おめでとう」とか「よかったね」の5文字だけは伝える。

しょうがない。今の自分では素直に喜べないのだから。
でも5文字伝えたぞ。

そうすると脳内シンクの栓が外れて、茶色く濁った水が排水口へと吸い込まれていく。


小ザルの小さな庭は、一朝一夕には大きくならない。
しかし「5文字が送れなくて嫌な自分」は5文字送れば回避できる。
送らなかったら、シンクには栓がされたまま茶色い水がぬわぁーんとそこにゆらめきつづける。

溜めない、すぐ栓を外す。
すぐに空っぽのシンクに戻す。
そうやって、なんとか自分の小ささと向き合っている。


バッファローのようになりたい。
わたしもいつか心のパーソナルスペースを大草原にできるだろうか。
小ザルの大きな夢だ。



今日も読んでくれてありがとうございます。
あなたは人の幸せを素直に喜べないとき、どうしていますか。
あるいはあなたはバッファロータイプでしょうか。

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