「私が傷つくからやめて」と言いたい
アライのふりをするのはもう疲れた。
正確には「アライなだけ」のふりをするのに疲れた。
だって、「シスジェンダーかつヘテロセクシャル/ロマンチックかつモノアモリー」であることが標準とされる社会では、私はばっちりクィアだ。*1
それなのにクィアな誰かが差別されたり、バカにされたりしているのを目にした時に、私は自分が傷ついているって誰にも言えないでいる。*2
あなたの言動は間違っていると指摘することはできる。私には高等教育とインターネットで得た知識という武器があり、それを使えば「賢いアライ」っぽく冷静な口ぶりで論理的に説明することはできる。これまでずっとそうしてきた。
差別に反対するのは当然のことだと思う。性的マイノリティについてであれなんであれ。でもこの話題に関して私が反対する理由はそれだけじゃない。
私はクィアな個人として、クィアへの差別や嫌悪に触れる度に傷くからやめてほしいのだ。言動が差別的であると理屈っぽく論じることもできる。でもその前に、「あなたの発言で私が傷つくからやめてほしい」と言いたいのだ。
でもそれができないでいる。
表向きの理由は「傷ついているから止めておこう」と思われるのではないかという懸念から。人が傷つこうが傷つくまいが差別はすべきでない。
本音の部分では、「クィアとしてあなたの言動に傷ついている」と伝えるメリットより、カミングアウトすることによるデメリットの方が大きいと感じているから。「カミングアウトしなきゃいけないこと扱い」への反発心もある。
こうして賢いアライっぽく、でも自分の事情はぼやかしてやり過ごしてきたけれど、最近なんだか息苦しい。
なんというか、「あんたが今踏んでるのはあたしの足やでー」とか「あんた今あたしのこと刺してるでー」と伝えたくなってしまったというか。
傷ついていると伝えるのが怖いのは変わらないのだけれど、「アライなだけのふり」をして涼しい顔でいるのもしんどくなってきた。
だって痛いものは痛い。
*1: 性的マイノリティ用語カタカナ天国問題
日本語を使う時はカタカナじゃなくて漢語か和語で形容したいけれど、異性愛以外はうまく表す単語が思いつかない。(そしてこの訳も十分でないと思う)
シス/トランスやヘテロ/ホモで定着していくのかもしれないけれど、日本でもこれまでずっと存在してきた人々を、カタカナでしか表現できないのはもどかしい。まるで存在自体が海外から輸入されたかのような印象を与えるのではと懸念する。輸入されたのは概念であって存在ではない。
あと、マイノリティを少数派と訳すのにも抵抗がある。マイノリティは必ずしも数が少ない方なわけではないから。第一、何かしらクィア要素のある人って数はとても多いと思う。
*2: LGBTQよりもクィアって言い方が好き
クィアはさっきの狭い「標準」範囲以外の全てを包括的に指していて、なんだか自由な気がする。Queerが性的マイノリティの総称になるまでの経緯も考えると余計に、自称したくなる。短くて言いやすいし。
あと私自身 L/G/B/T のすべてに当てはまるわけではないので、「LGBTQ当事者」として括られると居心地が悪いのもある。LGBTQの一部分について私はアライだと思う。
私はクィアでアライなんだ。だからクィアに向けられた差別や嫌悪は、それが自分に当てはまる要素についてでなくてもすごく悲しい。
私にとってクィアとは、ラベルや所属というより状態を指す言葉だ。「標準」ではない者として扱われている状態を、でも誇り高く自称するための言葉。
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