観光客という鎧に包まれる安心感

この夏、あるテーマパークを訪れることを目的に短期の旅行をした。

地元の人だけでなく、世界のあちこちから人が集まる場所。
夏休み真っただ中ということもあり、にぎわっていた。

前にも少し書いた気がするが、「観光客」としてだといつもよりも気持ちリラックスして英語を口にすることができる。
観光地で出会うお店の人や係の人は、観光地という空気がそうさせるのか、通常よりもフレンドリーだったり対応が親切・丁寧なことが多い気がする。

私自身も、気持ちがワクワクした状態でいるので、通常より心を開いて周りと接するようになる。

まるで、「観光客という名の鎧」を身にまとっているかのように、安心感や心強さのようなものがある。
その鎧に守られているので、英語でやり取りする勇気が持てる。
多少聞き間違えてしまっても、言い間違えてしまっても、結果OKだったら良い!という爽やかな気持ちが優先される。
いつものように、「ああ、失敗した。」「できなかった。」と大きな傷を負って落ち込むこともない。

この鎧は強い。
この鎧を身にまとっている間は、強くいられる。

ところが、日常生活に戻り、この鎧を脱ぐと、途端に弱腰になる。
失敗も落ち込みも怒りも絶望も、容赦なく私の身体に突き刺さって傷となる。

鎧なしでも、強くいられたら…。
それこそが私の最大の目標かもしれない。

素の自分のままで、しなやかに軽やかに、傷を回避しながら暮らしたい。

観光客という鎧に頼らなくても、勇気と強さを持っていたい。

そもそも、英語でやり取りすることを「戦」のように感じるとは…英語に対する私の心の傷は相当深いのかもしれないな。

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