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振り返ってみれば私の家族観に影響を与えてきたことと、やっと向き合うキャリア観

今となっては、夫と子ども2人との4人家族の形ができあがって久しく、この家族がすっかり当たり前になってしまいました。でも、ここに至る前まで=私の20代の頃の最大の関心事って、どうやってこの「家族」を確定させるか、だったんだよなぁ。


10代後半の私が掲げた明確な目標

10代後半の私には明確で後ろ向きな目標があり、それが「私は幸せな家庭を作るぞ!」と「この街から脱出して都心に住む!」でした(笑)

こんなこと言うと、「ご家庭でなにかあったの…?」「生まれ育った土地を憎むような事情が…?」と心配されてしまいそうです。端的に答えてしまうと、幸せなシングル家庭で育ったので、全くご心配には及ばないものの、両親そろった家庭で子ども2人、みたいな形を達成したいという変な野望があり、その暁には脱出先として都心に住みたいと、そういう子どもなりの明確なビジョンがあったのです。

20歳も過ぎればむしろ自分自身の仕事やキャリアのこともしっかり考えるべきだったのですが、何を差し置いてもこの10代後半の二大目標があまりに強烈で揺らがない指針になっており、その後の20代における私の意思決定に影響を与え続けていました。


20代で全く定まらなかったキャリア観

そもそも公認会計士の資格を取ろうと思ったのも、大学内で開催されていた資格予備校の説明会に偶然立ち寄った時に、「資格があれば将来子育てしても柔軟な働き方ができますよ」という本当なんだか嘘なんだか分からないセールストークにまんまと引っかかったのがきっかけでした。(もちろん実際に勉強し始めたら自分に向いていると思ったので続けたのは確かですけれども)

話が行ったり来たりしてしまいますが、私は同居していた祖母(私が高校生の時に他界)をリスペクトしていました。その祖母が「手に職を持ちなさい」と言っていたのが印象に残っていて、その文脈からも資格を取るのは良いことなのではないかと思ったのです。今から考えれば、祖母は祖母なりに、女性が自分自身の力で生きていくために、仕事に就く手立てを用意しておきなさい、ということを言ってくれていたんだと思います。

そういうわけで、「幸せな家庭を作って都心に脱出」の基本方針に沿っている(と当時の私には思われた)公認会計士資格取得に突き進んだわけです。キャリアそのものや職業人生の目標を考えることとは程遠い意思決定でした。


20代前半にして婚活を意識しすぎた私

それで、ここまで読むと、幸せな家庭といいつつも、まずは結婚そのものより仕事のことを考えてたのね、と思われそうですが、実際には20歳の頃の私の最大の関心事は婚活でした。私が今この多様性の時代に大学生だったら、ここまで振り切ってなかったと思うので、記憶違いでなければ当時世間にもっと婚活ムードがあったのも間接要因かな?

それで、20歳当時の私が、婚活といえお見合いをするわけでもないのに、じゃぁ何をしてたんだというと、頭の中でだけは立派に婚活スケジュールを組んでいたのでした。

具体的に言うと、若く結婚する場合にそんなにスピード婚はできなさそうので、結婚するまでに2年くらいはお付き合い期間があるとする。20歳の時に誰かとお付き合いを始めて2年で22歳。その後結婚には至らず破局するとして、次に23歳から2年お付き合いして、破局するとして、その次は…みたいな感じで、一定期間お付き合いして破局を3回くらい繰り返しても20代のうちに結婚できるだろうと。そういう今から考えると身も蓋もないスケジュールを組んでいたのです(笑)そのために、あんまりのんびり構えず早く彼氏を作って、むしろトライアンドエラーを繰り返そうという作戦を立てていました。

なぜこの頃20代での結婚を考えていたかというと、私はなぜか幼い頃から「子供は欲しいと思っても恵まれるとは限らない」ということを知っていて(おそらく母や母の友人から聞いていた)、当時不妊治療についても今ほどメジャーに語られておらず、妊娠出産がスムーズに行くとは限らない前提で結婚は早めにしようと思っていたのだと思います。


幼い婚活計画が奏功し20代半ばに結婚

それで、結果的には婚活のトライアンドエラーを繰り返すことなく、21歳の時に付き合い始めた彼氏と20代半ばで結婚することになります(お付き合い期間は2年より長かった)。偶然良い人に巡り会えたのは本当にラッキーで、しかも私と結婚しようと決断してくれた夫には感謝です。

結婚する時にはもう監査法人を辞めて外資系企業に転職しており(「この激務じゃ子育て中はおろか妊娠中も安心して過ごせないな」なんて思ったのも転職理由のひとつ)、子育てできそうな環境&結婚まで辿り着いた私。ここに至っても、もちろん「こんな仕事やってみたい・興味ある」っていうレベルでは自分のキャリアと向き合ってきましたが、何を置いても家族計画の方が優先していたのでした。


子ども2人産み終わって初めてキャリアと向き合う

結婚を機に都心のマンションに移り住み、思いっきりはしょりますが子ども2人産み終わって、30歳。10代後半だった私が掲げていた目標に取り憑かれながら生きてきて、いつの間にかめでたく「幸せな家庭を作る!」と「都心に住む!」を達成してしまいました。もちろん継続することも大変なことではあるのですが、幸せな家庭運営についてはずっと努力するとして、住む場所に至っては一度地元を離れてみたら気が済んだので、今後の人生では別にどこに住んでもいいかなと思っていて都心へのこだわりがなくなりました(でもやっぱり積極的に地元に戻りたくはないので都心じゃなくていいから地元以外の場所に住みたいかな笑)

正直言って、この時点で私は人生の目標を達成してしまったような気分になっていて、あとはもうこのままありがたく生きていくというか(笑)もちろん日々の子育てや生活は大変なこともあるのですが、もう十分幸せにさせてもらっていて、ここでやっと気が付いたのです。

「私って何がやりたかったんだっけ?」


これからの人生、何しよう?

場面変わって外資系企業に転職したばかりの頃、親切でちょっとおせっかいなアジア系お母さんがいました(アジアパシフィック地域担当のまぁまぁ偉い人でたまに日本に来る)。今の時代じゃ許されない会話がこれ(笑)

アジア母「ところでAmy、彼氏はいるの?」
Amy「は!いますけれども」
アジア母「じゃぁ早く結婚しちゃいなさい、それで子供産むなら産んじゃいなさい。全部片付けば仕事に集中できるわよ」
Amy「は、はい…」

さすがにこれ日本人に日本語で言われたら職場でなんて過激な思想を植え付けてくるんだと抵抗感が増したと思いますが、国も言語も隔ててるのでなんとなく素直に聞いてしまった私。このお母さん、誰にでもこのアドバイスしているなら問題ありだなと思いますが、私の心を読んでいたんだったらすごいなと。結果的に、このアジア母の予想は当たったわけで、私は結婚し子供を産んで初めて、自分のキャリアに真正面から向き合うことになったのです。

振り返ってみれば、だいぶ幼い家族観だけを頼りにここまで生きてきたなと。幸せな家庭にたどり着けたことは結果オーライなのですが、今のような多様性の時代に多感な時期を過ごしていたらこういう考え方にはならなかったかもしれません。

それで、2人目を産んだ後の5年間、まさに私は自分のキャリアに向き合いながら試行錯誤しています。より輝ける場所を探して異動して、それでもやっぱりと産育休を2回取らせてもらった会社を離れ、スタートアップを渡り歩いて2つ目。この延長線上にもっとやりたいことがあるのか、いつか全然違うことに移行するのか。迷子になりながらも考えていきたいと思います!

こんな記事を書こうと思ったのもLIFE SHIFT 2の影響(笑)最後までお付き合いくださりありがとうございました!


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