見出し画像

目立つ人とそうでない人

世の中にはスポットライトが当たる側の人と当たらない側の人がいると思う。私は、人前に立って何かするのは全く得意ではないし、好きでもない。大体のことはそつなくこなせるが、人前に出るとなると急に目は泳ぐし、胸が非常にザワザワしてきて、発表などしようものなら内心はかなりテンパっている。それなのに、ちょっとした承認欲求がたまに顔を出してきて、”何者かになりたい”と漠然と思いながら、結局何者にもなれないんだという理想と現実のギャップに落ち込んだこともあった。

でも、やっぱり人には向き不向きがあって、私はスポットライトで言えば後者の当たらない側の人間だと思う。そして、自分が目指す像も”縁の下の力持ち”なのである。内閣で言うところの官房長官、芸能人で言えばマネージャーのような。決して一番目立つポジションではないけれど、確実に必要とされている、いわゆる影の立役者的な立ち位置。

私は、この立ち位置に対して、見えない美学というか見せない美学というか、そういう類の美しさを感じる。これはすごく日本的な感覚になるのかもしれないけれど、表立って何かをするのではなく裏方で自分のやるべきことを粛々と行う。そして何かプラスを生み出す。この、”メインキャラクターじゃないけど確実に影響力を持っている”というギャップが良いのかもしれない。

なので、映画やドラマを見ていても、かなりの割合で脇役に注目してしまう。最近見たドラマだとTOKYO MERの駒場室長とか、LOKIのメビウスとか、、。もちろんメインキャラクターも十分魅力的だけど、何というか半歩下がってメインを立てつつ、メインにとってもみんなにとってもなくてはならない存在、魅力的すぎる。

思い返してみれば、学校のグループワークをやるときは、大体いつも自分が発表用の資料や原稿を作って、前に出るのが得意な他の人にプレゼンしてもらうスタイルだった。私もチームの役に立てているし、他の人もチームの役に立てている。適材適所なんだな。

もう一つ、縁の下の力持ちに憧れるのは、威圧的ではないから、というのが多少なりともあると思う。もちろん表舞台に立つ人がみんなそうとは微塵も思っていないが、やっぱり前に出ていくからこその強さは良くも悪くもあると思う。威圧的という表現が正しいかは分からないが、感覚としては、上から何かを言ったり一人だけ裁量権が大きかったりするのではなく、みんなと同じ目線もしくはその下から平和的に影響を及ぼす、と言う感じが安心できるのかもしれない。

とにかく競争が嫌いで、人を蹴落として自分だけ利益を得る、みたいな行為は自分の道徳観からは限りなく遠い場所の話なので、みんなも心地よく、自分も役に立てるという点で、縁の下の力持ち”と自分との親和性が高いのだと思う。誰か鼻血を出している人がいればティッシュをさっと渡せる人でありたいし、一人でグループの輪に入れずもじもじしている人がいれば優しく輪の中に誘える人でありたい。きっと状況に合わせて、みんなにベストの動きがしたいということなのかもしれない。


もうとにかく平和に越したことは無い。平和がいちばん。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?