見出し画像

なんやかんや言うけど自分めっっっっ(以下無限)ちゃ幸せもんやぞ???

映画を観に行った。
映画館には歴代のジブリのキャラクターたちが大きな壁を覆っていた。
旦那さまがドリンクを買いに行っている間に、それらをぼーっと眺めていた。

『火垂るの墓』の兄妹もいた。
喉も心臓も踏み潰されたように痛むので、ちゃんと観たのは1回くらいだろう。
だけど、あれは私が知らない日本の姿。
本当に現実に起こっていたことで、ただ私が目の前で見ていないだけのこと。

今でも世界でそんな悲惨なことが起こっている。
「日本だから大丈夫」なんて、どうしたら思えるのか。
明日命懸けで逃げているかもしれない、死んでいるかもしれないのに。

ウクライナの人たちだって、「普通」に生きていたはずだ。
「また明日から仕事かー」とか、
「今度の日曜日は映画見に行こう!」とか、
「子供を保育園に迎えに行かなくちゃ」とか、
「赤ちゃんが生まれるの楽しみだね」とか、
今の私たちとなんら変わらないことを思って過ごしていたはずだ。

それが突然奪われた。

そんなことを私は想像ができないでいた。
毎日ニュースで見るのに、「ひどい」「戦争なんてやめて」「どうか早く終わって」「どうか無事でいて」なんて思って胸を痛めていたのに、どうしてどこか他人事のように思えていたのだろう。
私にだって起こり得ることなのに。

今いる映画館のこの光景も明日にはなくなる可能性だってあるし、「日常」ってあって当たり前、続いて当たり前じゃないなって思った。

とても怖くなった。
私たちの「日常」って、そこらじゅうにヒビが入っていて、そのどこかがちょっとの振動で欠けたら簡単に崩れるものなんだ。
ちゃんと見ないと気付けないそのヒビをよそに、「日常」に不満を漏らしている。

上映前の予告も、なんだか「戦い」とか「生きるか死ぬか」みたいな映画ばっかりで、スポンジ並みに影響を吸収してしまう私は今この瞬間にも爆発でも起きて死ぬんじゃないかって、映画とは別の意味でザワザワしてた。(コナン集中しよ??)

私は心配性な上にめちゃくちゃ影響を受けやすい。
いつも不確かな何かにビクビクしている。

ああ〜嫌だ嫌だこの考え方。
こんなんじゃまともに「今」を生きられてないのと同じだ。

もう悪いことしか考えられなくなった頭が嫌で、本屋で必死に言葉を探した。
「いつ死ぬかもわからないのに生まれてきた意味ってなんだ?」ってとこまで考えてしまっている私を救ってくれる言葉を。

残念ながら時間切れで今日の私を救ってくれそうな本には出会えなかったから、帰ったら学生時代ハマりまくった少女漫画でも読んで落ち着こうと思う。(咲坂伊緒先生最高です)

そんな昨日を過ごしたのに、今私の頭の中は「今日の夕飯何にしよ」でいっぱい。
今日も今日に感謝です。まじで。本当に。

おやすみなさい。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?