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ADHDの頭の中

子供の頃のわたし その1

わたしは子供の頃から不思議ちゃん・・・だったらしい。
だったらしいのだ。自分で不思議ちゃんとか思っていたわけではない。
不思議だと言う人にはわたしの言動は理解し難いものだったのだろう。
わたしはそれを当たり前と思って行動していたわけだから、不思議だと思う人の考えとは交わることがないのは当然のことだ。

子どもの頃からよく『頭が良い』と誤解された。
全くの誤解だ。頭が良いわけが無い。
他人が当たり前にわかることや出来ることが、わたしにとっては難しいことだった。
字が汚くて書くのが遅く、ノートが書けない。板書を書き写すどころかメモも取れなかった。忘れ物が多くて整理整頓が苦手。授業中はボーッとしていて教科書も開かない。
好奇心は強いほうだったと思うけれど、興味の向かう方向や得意とすることが平均的な子どもとは違っていたので、頭の良い子どもだと思われていたのかもしれない。

また、興味のあることが合致しないためか、同年代の子どもとの付き合いが苦手だった。
自分のことを上から理解してくれる大人と一緒にいるほうが気が楽だった。

父はそんなわたしの態度をみて、母との夫婦喧嘩のときに
「お前が大人みたいに扱うから子供らしくない態度を取る子どもになった」
と言い放ったそうだ。
いやいやいや、それ、あなた(父)の責任もあるからね?

わたしだって同年代の子どもと仲良くしたくなかったわけじゃない。
でも、うちの両親はそんなわたしの望みと明後日のモノを与える鈍感さんだった。

たとえば、おもちゃって友だちと一緒に遊ぶときに使うでしょう?
わたしが幼稚園のときに、レゴによく似たブロックが一瞬流行っていたので、わたしはサンタさん(という名目の父)にレゴをお願いしたのだけれど、クリスマスにサンタさんが枕元に置いたのはダイヤブロックだった。
いや・・・ダイヤブロックはダイヤブロックで面白いんだよ。しかも、父が選んできたのはスケルトンの4色のもので、多分だけど珍しいものだったはず。
ただ、レゴに比べたらパーツの種類が少ないというか、とりあえず基本のブロックしかなかったんだよね。世間は圧倒的にレゴ系が多かったので、友だちとブロックを交換することも出来なかった。
まあ、ひとりではダイヤブロックで相当遊んだのでダイヤブロックが嫌だったわけではない。

また、リカちゃんが大人気だったときに、わたしもリカちゃんが欲しいとお願いしたんだけれど、両親が買い与えたのは(多分)スカーレットちゃんだった。
しかも、わたしが(これリカちゃんじゃないなぁ)と思って母に
「この子は何ていう名前なの?」
と聞くと、母は
「マーガレットちゃんよ」
と、適当なことを言っていた。わたしがその子の名前をスカーレットちゃんだと知ったのは、大人になってネットで画像検索をしたときだ。
スカーレットちゃんも可愛いんだけれど、いつも目が斜め横を向いていて変な感じだった。そしてここが問題なのだが、リカちゃんとは全くサイズが違ったため、リカちゃんハウスにいれると頭が屋根の上に出てしまう巨人の女の子だった。更に言うと膝が曲げられないので椅子にちゃんと座れない子だった。
やっぱり変だから一緒に遊べないと言われ、困ったわたしは隣のアパートに住む1歳年下の男の子の持つ『変身サイボーグ1号』と『マーガレットちゃん』で遊ぶことになった。
透明ボディのサイボーグ1号を「お父さん」、巨人のマーガレットちゃんを「おかあさん」と呼ぶおかしなままごとは、今考えるとなかなかシュールだ。
今思いだすと、その一つ年下の男の子も、幼稚園児のくせに大人が読めないような漢字が読める子だったし、年上のわたしに勉強を教えようとする変わった子だった。

母に関してはこんなこともあった。わたしが、幼稚園が終わったあとに生徒がわらわら集まってくるヤマハの音楽教室をみて
「いいなぁ、わたしも音楽教室に通いたい」
と母に言ってみたところ、母は自分の友人がやっているピアノの個人レッスンに通わせ始めた。小さな子どもが、バスに乗って先生の個人宅に通うのだ。しかも、わたしが通っていたのは冬・・・。
ちなみに先生のところに通う生徒のほとんどは、きちんとピアノを習いたいお嬢様で自宅にはピアノがあった。うちは足踏みオルガンだ。
タッチが全然違うから、家で弾けてもピアノでは弾けないなんてことも多かった。
そして、先生はとても怖かった。

「おかあさん。雪が降っているときに先生のお家にいっても手が冷たくて弾けないから春までおやすみする」

そして、わたしが先生のところに通うことは二度となかった。
わたしはグループレッスンで楽しくアンサンブルをやりたかったのだ。先生に厳しく教えられてピアノを上手になるためではない。音楽を楽しむために教室に行きたかったが、母は楽器を習わせようとした。母にとって音楽っていうのはそういう習い事という認識だったのだろう。

その後、わたしはお祖父ちゃんとの連弾と自主練習でバイエルを弾き、ツェルニーやらブルグミュラーやらソナチネを自己流で弾くようになった。オルガンで(笑)

大人になった今考えると、わたしが学校で孤立して、同世代の子どもたちとコミュニケーションを取れなくなったのは、わたしの特性だけのせいでは無いように思える。

つづきます

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