見出し画像

「初恋」から「成熟した恋」に‥‥そんな視点でドラマを見る


初恋はなぜ破れるのか?

(https://duarbo.airnifty.com/songs/2007/06/post_5c06.html)
上記、二木絋三氏のサイトの解説によると、

「ほとんどの場合、若者の初めて恋する対象が相手その人ではなく、相手を素材として心の中に創り上げた幻影だったことに起因しているようです。よく耳にする「恋に恋する」という言葉は、これを表現したものといってよいでしょう。

 恋されているのが自分ではなく、自分の虚像だったことに相手が気づいたとき、あるいは自分が虚像に恋していたことに気づいたとき、初恋は終わりを告げます。

 人間関係の経験を積んで、相手の実像が把握できるようになると、次第に落ち着いた恋、いわゆる「成熟した恋」ができるようになります」

まさにこの解説通りのドラマが韓国ドラマ「私の名前はキム・サムスン」ではないだろうか。30代女性のリアルを描いたドラマであるが、「初恋から成熟した恋」へのドラマとしても見ることができると思う。


男性主人公には初恋の女性がいた。しかし自分が起こした交通事故で瀕死の状態にある時、その彼女に自分の元を去られたという辛い経験がある。彼女は、進行性の胃癌ステージ3で、即アメリカで手術を受けなければならないという理由があって彼の元を離れたのだが、そのことは彼には知らされていなかった。

男性主人公は、彼女に対する不信感と恋慕の愛憎ないまぜの心と自分の起こした交通事故で兄夫婦を殺してしまったという罪の意識を引きずって、3年の歳月を過ごした。そんな時、キム・サムスンというパティシエに出会う。彼女は3歳年上の30歳。恋も失恋も十分経験済みの、でも可愛い熟女である。

このサムスンとの出会いは衝撃的かつ醜悪なもので、彼の好みや価値観から言っても論外の女性であった。パティシエとしての腕は確かであったが、やることなすこと大胆かつストレートで強烈だった。だが、何事にも正直で、恋にも失恋にも真摯に向き合う彼女に彼は惹かれていく。胸に抱えていた「兄を死なせてしまったという苦しみ」を彼女に打ち明ける。そのことで彼の心の傷は癒されていく。

やがて初恋の女性と再会するも、元の自分ではないことに徐々に気づいて行く。彼女の心は初恋当時のままで、昔の初々しかった2人の関係を懐かしみ、その思い出を口にするが、彼はその言葉に同調できない自分を感じてしまう。ドラマの中で、彼が違和感を強く感じたのではないかと私が思ったのは、彼女に「愛してる」と言われた時の彼の反応だ。

「どのくらい? どれだけ? いつまで?」と彼はちょっとからかうように尋ねる。返ってきた彼女の返答に「ネットで仕入れたの?」と言って、意味ありげに一人笑った時だ。

彼女の答えとは、

「天より高く、大地より広く。月と地球の間に橋が架かるまで。感動した?」

こんな答えはおそらくサムスンからは返ってこないだろう(以前、交際100日目の花束を贈られた時の彼のキザな文句がネットから仕入れたものだと聞かされて「よく言うわ」と呆れていたぐらいだから)

明らかに彼は別のステージの恋に進んでいたのだと思う。サムスンに「他の男と目を合わせるな!僕以外の男に耳を傾けるな!すごく嫌なんだ!」と口走る彼はすでに恋に落ちていたのだと思う。

甘ったるくて青臭い関係より、ウィットに富み、温かい人間味、鋭い舌鋒そして綿菓子のような包容力を持つサムスンとの成熟した関係に惹かれている自分。二人の関係は、明らかにサムスンが主導権を握っていた。

会えなくなって自分の心に占めていた彼女の存在の大きさに気づく。彼女への思いはつのるばかりだ。思い詰めたように「あなたはとても魅力的だ」と口にする。「それにに気づいてないのがまた魅力だ」と。そして最後は、「好きになった。あなたのことが頭から離れない」と吐き出すように本音を告白する。

初恋の女性に別れ話を切り出した時、彼女に「サムスンを愛してるのか」と何度聞かれても、彼は「愛してる」という言葉を言わなかった。代わりに、

「頭から離れない」「会いたい」「一緒にいると楽しいんだ」

と答えている。きっと常套句の「愛してる」などという言葉を使いたくなかったのだろう(でものちに、サムスンに強制的に「愛してる」と言わされる。そして「褒め言葉と愛の言葉」は何度でも言葉にしなさいと言われる)。

彼はサムスンという女性の実像を理解した上で、そのすべてが好きになったのだろう。彼は初恋の女性にこう言う:

「君のことは一生忘れられない。化石みたいに心の隅に埋まってる」

「でも、そんな自分をサムスンは理解してくれると思う」

そう告げられた彼女は、彼のサムスンに対する信頼感と強い思いを感じ取ったはずだ。

 冒頭、二木氏も述べているように「成熟した恋」は、

「その味わいは、初恋の甘美さには及ぶべくもありません。たとえ破れても、初恋の記憶は長く心を潤し続けます。多くの芸術作品が破れた初恋から生まれました。若者は破れることを恐れずに恋をすべきです」(二木紘三)

恥ずかしながら、私にも似たような経験がある。京都の大学時代出会った人がいて、つきあった。でも二人の関係が何なのか明確な態度を示さない彼に剛を煮やし、また京都と大学に馴染めなかったこともあって、関係を断ち切るように東京の大学に編入してしまった。

新しい大学で新しい出会いがあり、ウキウキときめく日々を送っていたある日、電車を降りた改札口の向こうに元カレが立っていたのだ。

映画の一コマのようなシーンではないか⁈ 予期せぬ出来事⁈私を追ってはるばると・・・なんちゃって。だがこの時、私の心はときめかなかった。私の心は、すでに新しい恋に動いていたから。自分の心のいい加減さを思った。涙を流すほどつらい日々を送ったのに。

その時以来、「恋する自分の心」を冷ややかに見るようになった。「恋は順列組み合わせみたいだ」どんなに相性が良くてもタイミングが合わないと成立しないと。

それから幾多の出会いと別れがあって、「成熟した恋」ができたお陰で今の自分がある。

「若者は破れることを恐れずに恋をすべきです」

私も同感です。恋せよ、傷ついたことがないように🫶


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?