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今日ときめいた言葉ではなく、アニメ61ー「コタローは1人暮らし」

(タイトル画はkotaro-anime.comから転載)

そもそも4歳の男の子が1人暮らしをするということが論外なんですけど・・・。ま、その辺の事情は深く考えないことにして見てみました。この設定が受け入れられないと見続けるのはちょっと苦しいかも。

アパートに引っ越して、ティッシュペーパーの箱を持って住人に挨拶に行くなんて初っ端からぶっ飛んでいる。妙に大人びた子だし。かと言って「クレヨンしんちゃん」のような悪ガキキャラではない。老成したガキンチョと言った風情だ。

このアニメは、三女が「面白いよ」と紹介してくれたのだ。彼女とは笑いのツボが合うので(キョロちゃんとか、コジコジとか、飛べない鳥泳げない魚の次郎さんとか)、見たら面白くてハマってしまい一気見してしまった。その後、コタローのしゃべり方が移ってしまい彼女とは殿様語で会話をいたしておる🤭

テレ朝で実写版で放映されてたとか、ビッグコミックに掲載されていたとか、その辺の詳しい情報は一切知らぬ。ただこの作品を見ただけの感想である。


「一人ぼっち」ではなく「一人暮らし」と言うところがミソなのだ。彼はいたって自立した生活を営んでいる。「とのさまん」のアニメが好きで、殿様語を使い、殿様のアイデンティティを持って暮らしている。大人とは対等に渡り合う。いや、上から目線で接する。何せ殿様だから。

「情けは受けぬ」姿勢を貫き、「武士は食わねど」的なメンツを保って一人暮らすその健気な姿に、周りの住人たちが、ほっとけずそっと手を貸す。そんな大人に「ワラワは頼んだ覚えなぞない」と応じる。

でも全てのエピソードから伝わってくるのは、見せまいとして心に押し留めているコタローの寂しさである。どんなに強がっても、寂しさのカケラが時々こぼれ落ちる。それでも肩肘張ってそれを認めないコタローが愛おしい。

物語が進むにつれ徐々に彼の生い立ちや置かれている状況が見えてくる。ざっくばらんに言えば、ネグレクト、DV、養護施設育ちといった思いっきり可哀想なケースなのだが、コタローはそのようには受け止めていない。

父親に愛されず一緒に暮らせなかったのは、自分が強くなかったことが原因だと思っている。強くなれば「また父上とも暮らせる」と信じ、肉体的にもメンタル的にも強くなろうと日々励んでいる。

我が子に触れられない母親が、コタローに触る時に使っていたビニールの手袋を母の思い出の品として大切に保存している。愛されなかった悲しい過去を思い出す物なのに、彼に取ってはそれが母親につながる唯一の物だというのが悲しい(このアニメでそういう人がいるということを初めて知った)

どういうわけか彼は幼稚園に入ることになっていた。4歳児だからね。入園式ではどの子も父親母親同伴の中、コタローは一人だ。疑問に思ってたずねる友達に次のように答える。

「ワラワの親は忍者なのだ。だから人の目には見えぬのだ」と。

だが例の住人たちが保護者だと言ってあわてて駆けつける。コタローは内心うれしかったに違いないが、そんなそぶりは見せない。

その幼稚園で劇をすることになり、コタローは「ニコニコ笑っている役」をやらせてくれと願いでる。先生は普段笑ったコタローを見たことがなかったので心配だったが、無事その役を演じたコタローをほめる。そして、コタローの笑顔をもっと見たいと告げると、

演技ならうまく笑えるのだ」
「自然に笑えたら良いのだが」

さらに、

「先生もワラワと同じであるな。先生殿も疲れているのに笑顔を作るのは大変であろう。ワラワにはわかってしまうのだ」

とコタローの鋭い突っ込みに先生も「ウッ」となる。ただものではない。

一人で食べる夕食のおかずの品数が多いのには理由があった。

「肉じゃが殿は味がしみているか。卵焼き殿もいつもきれいな焼き色であるな。きんぴらごぼう殿もしゃっきり具合がよさそうである」

などとひと品ひと品語りかけながら食べる。それを垣間見た住人たちがコタローの手料理が食べたいと集まる。皆、たくさんの料理が出るのを期待したが出てきたのは野菜炒め一品だけ。

コタロー曰く、

「今日は食事の話し相手として大勢のおかず達を作らなくてもよいのである。話し相手がたくさんなので料理は一品でいい。代わりにみんながいると」と。

こんなエピソードからもコタローの抱えている寂しさが伝わる。でも彼は強くあらねばならぬと常に思っている。

彼の一人暮らしを支えているのは定期的に届けられる生活費である。届けにくるのは弁護士なのだが、彼女はそのお金の出どころが母親の保険金なのだと知らされる。

その事実を知った彼女が、コタローに会うたびにお金の出どころが「親切な人からの寄付」だと告げなければならないことに苦しむ。

こんな風に縁もゆかりもないたまたま出会った人々の善意に支えられてコタローの一人暮らしは続く。そして同時に、コタローは彼と関わった人々の心を癒す。彼の発する言葉が深いのだ。ちょっぴり悲しくて、胸が熱くなり、クスッと笑えるアニメであった。

「皆も見てみるが良いぞよ」


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