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今日ときめいた言葉ではなく出来事101ー今年の打ち止め三女来日(続) 5年ぶりの母娘のおしゃべりから・・・。

コロナで会うことができず5年ぶりに母娘の長い話をした。彼女も結構苦労したんだろうなと想像できた。思えば他の2人も同じように苦労して今があるんだろう。

3人とも幼稚園から高校までをインターナショナルスクールで学んだからそれなりの言語能力は身についていたと思うけど、18歳で日本を離れ1人得体の知れないアメリカ社会で生きて来たわけだから、親元でぬくぬくと暮らして来た子たちとは違うたくましさを感じる。

3人ともアメリカの別々のリベラルアーツの大学で学んだ。長女は目的がはっきりしていたので迷わず大学院に進んだ。Ph.Dプログラムで生物学・栄養学で博士号を取得した。大学を卒業してからの一切の学費は我々からは出費していない。彼女は我々にそんな経済的余裕がないことを知っていたので、全て自分の力でやり抜いた。大学院の卒業式に出席して指導教官に会った時、そのことを知った。

その後結婚してポスドクをするためパートナーを伴ってテキサスの大学に入ったが妊娠したことで研究職を諦め、製薬会社に入った。その時は悲しくて泣いたそうだ。子育てしながら実験用のネズミちゃんの世話はできないからと言っていた。

二女は大学卒業後もアメリカに残って就活をしたが、思うようには行かず考えた末、大学院に入り直した。公衆衛生学で修士号を取り、薬の治験に関するデータ処理の仕事をしている。その頃、彼女のパートナーが長女と同じように大学院の学生だったため、Ph.D取得とその後のポスドク終了まで彼の学生生活を支えた。今では研究者となった彼との暮らしも豊かになり、極貧状態は脱したようだ。

そして当の三女。彼女も散々さまよったあげく、看護師資格を取ることにした。シカゴの看護学校で学び、資格を取り病院の救急医療機関で働いて来た。しかし、アメリカの救急医療機関は過酷な状況でテレビのERみたいにカッコ良くはなさそうだ。薬物中毒やアルコール中毒で運び込まれた患者が、何日間かするとまたやって来る。イタチごっこのような日々に、看護師たちは燃え尽き症候群に陥っている人が多いそうだ。

そこで彼女は3ヶ月ごとに職場を変わるトラベリングナースという働き方を選択した。給料が正規のナースの2倍になり、職場を変わるたびに出会うスタッフの経験やスキルに刺激を受けるとのこと。今までに出会った中では、フィリピン人のナースがすばらしかったそうだ。プロ意識が強く、仕事熱心で有能だったそうだ。みんな看護大学を出ているとか。

日本は働きに来ている東南アジアからの人たちをもっと大切にしないと誰も日本に来なくなってしまうと危惧している。日本人の中にいまだに差別意識がないだろうか。

今は看護師の仕事を減らし、大学院のオンラインコースで災害医療を学び、修士号を取得したいそうである。「もしかして国境なき医師団にでも入るのかな?」とかまをかけたら国内でも災害が起きたところには行きたいと言っていた。うつ病で苦しんだことがあるだけに、なんとまあ強くなったことか。それでも時々そんな気分に襲われることがあるそうだ。

今年は3人の娘が次々にやって来て目まぐるしい一年だった。彼女たちが日本に来る目的は、おいしい日本食である。何を食べてもおいしい日本の食べ物。彼女たちを惹きつけてやまない。

我々は、2023年の残された日々を静かにのんびりと過ごしたいと思う。


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