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今日よみがえった言葉124ー「歴史の教科書はどうして縄文時代から始まるんでしょうね。近現代から始まってもいいと思うんですがね」

(タイトル写真は山川出版社のサイトから転載)

私の高校一年の時の地理の先生の言葉である。先生は日本史も世界史も教えていたが、一年生の我々が習ったのは地理であった。後で知ったのだが、郷土の歴史家で史跡や遺構の発掘などで著名な人物だったようだ。ちょっと前、戊辰戦争の戦場になった郷里の遺跡のことで新聞に載った記事を読んだことがある。

地理の授業もかなりユニークで、教科書中心ではなく先生が話すことの方が重要だった。試験についても「僕は試験はやらなくてもいいと思うんですけどね。でもやらないといけないから。試験問題は僕が話したことから出題します」私は先生の話す事柄が楽しくて、真面目に書き留めていたので成績は良かった(笑)

今でも記憶しているのは、稲刈りが終わってその稲の干し方について言及されたことである。我が郷里で普通に目にしていたのは下のような干し方である。

よくかくれんぼをした👍

ところが、先生が言うには隣の県ではこんな風に干しているんだとか。

でも我が郷里でも下のような干し方を目にすることがある、確かに。「と言うことは、その地区には隣の県の人が移り住んだかもしれないということなのでしょうかねえ」という先生の問いの投げかけに「お〜、そんな見方もできるのか」と、eye-openerであった。その地区の習慣や伝統を調べたら何かわかるのかも。地理とは、そういう風に考える学問なのかと深く心に残った。

そんな心に残る先生の言葉。今さらながら実感している。何故近現代史をしっかり学ばせないのかと。あの時の先生も同じ思いだったのだろうか?ヨーロッパの学校では近現代史をしっかり学ばせるというのに。日本の高校生で「第二次世界大戦で日本と戦った国は?」に「アメリカ」と答えられたのは少なかったという現状。

余談になるがあのNHK の大河ドラマ。どうして毎回近現代前の侍ものばかりなのだろう。来年の大河がまた豊臣秀吉時代のものだと知って大いに呆れたものだから(よく飽きもせず)

制作に高い費用をかけて我々の税金を使ってこの「侍もの」で何を国民にアピールしたいのか?「昔の日本人はこんなにカッコよかった?」「我々の歴史にはこんな輝かしいヒーローがいた?」とか。国民の自尊心をくすぐるため?

もう少し国民の知性や意識を高めるドラマを作ってみてはどうだろう。苦言ついでに言ってしまうと「侍ジャパン」とか「撫子ジャパン」というネーミングにも引っかかる。侍とか大和撫子は、かつて人間を苦しめた時代の制度とか価値観から生まれた言葉ではないか。特に「ナデシコジャパン」の「大和撫子」は、

色白で黒髪がきれい
・仕草が控えめで凛としている
・飾り気のないファッション
・一歩引いて男性を立てられる
・教養や礼儀を身につけている    (Domani.shogakukan.co.jpから引用)

このような定義らしい。女子サッカーチームのメンバーには違和感というか抵抗感はないのだろうか。誰が名付け親なんだろうか?きっとNHKの大河ドラマが好きな人なんだろうな。

閑話休題
歴史ー特にすぐ前の近現代史ーを学ぶことで、これから自分がどう生きるのかのヒントに出会うかもしれないし、世界のこともより良く理解できると思うのだが。


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