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今日ときめいた言葉18ー「当事者でないものが同情や共感などを表現するには相応の覚悟がいる」(この言葉に書くことが怖くなった)

(2023年1月27日付 朝日新聞 「斜影の森から」福島申ニ氏の言葉)

「遠くのできごとに人はうつくしく怒る」


詩人石川逸子の言葉だそうだ。自分から遠い理不尽や、遠い人の苦痛に対して、人はたやすく、美しい正義感を抱きがちだ。だからこそ、偽善と感じない偽善、感傷と自覚しない感傷の心地よさにとらわれてしまう」

新聞記者として、そうなるまいと福島氏が自戒してきた言葉だそうだ。氏はさらに作家山田詠美の言葉を続ける。

「ヒューマニズムは、自分と関係のない場合にだけ、熱く語られる・・・」

この言葉を解説して次のように言う。
「虐待のニュースに涙して、『社会全体で育てなきゃ』と言う人は多い。ところが世の中、子供が泣けば周囲の不機嫌に親はしばしば縮こまり、遊ぶ声さえ迷惑がられることもある。つまり自分から遠いできごとには、人はやさしいのだ」と。


「人類を全体として愛することの方が、隣人を愛するよりも容易である」

エリック・ホッファーの言葉。「人類という抽象は美しいが、個々の人間となると美しいだけでは済まない。たとえば移民や難民のように、しばしば厳しい目を向けられる人たちもいる。思えば日本も、国境に壁をつくるトランプ元大統領の排除の手法を批判はしても、隣に移民がいる暮らしを受け入れようとはならない」

「面白い、自由主義者が己の主義に泣くか。我が事となれば錦の御旗の下から本音がのぞく」

福島氏は、象徴的な例として「招かれざる客」という1967年の映画を挙げている。人種差別に反対し、リベラルで公正な人物として信望の厚い地元紙の社主が娘に対してもそのように育てた。その娘が婚約者だと言って黒人医師を連れてくる。母親は、自分たちの教え通りに育った娘を誇りに思うと理解を示すが、父親は受け入れられない。上記の言葉はその時、親友に言われた言葉である。

福島氏は、当事者でない者が、同情や共感などを表現するには相応の覚悟がいると言っている。それは「忘れない」「考えることをやめない」という良心であると。

今まで偉そうに書いてきた自分に気づかされた。今の私は、ヨシタケシンスケの言う「人は正論を言うのは好きだけど」の「人」だ。(この後「正論を聞くのは嫌なんですね」と続く) 何か薄っぺらな言葉を無思慮に書き連ねてきたようで、書くことが怖くなった。「心にばつの悪さが生じると耳が赤らむ。そこから「恥」という字が出来た」の心境である。

「自分の主張が自分の現実と大きく違っていないか」常に自分を戒めることを怠ってはいけないと思いつつも、怠惰な自分はすぐにそんな意識が薄れ大言壮語してしまう。だから、学び続けて自分の感性を研ぎすます。愚直に。




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