見出し画像

今日ときめいた言葉56ー「孤独でいるために、まわりに人を必要とする」

(2023年6月11日付朝日新聞 「折々のことば 鷲田清一」から池内紀氏の言葉)

上記の記事によると、ドイツ文学者池内氏は自著の中で「音楽の都ウィーンのカフェは、孤独にふけるのにうってつけの場所である」と言っているそうだ。

「人々が無名のまま隣りあうこの場所でそっとおのれを解く(ほどく)。群衆の中に埋もれるかのように」と。

ウィーンのカフェはこんな雰囲気!

我々日本人が「孤独」と聞いて、イメージするのは否定的な意味合いを持った心理状態だろう。「孤独」について、tbsradio.comの記事が以下のように述べている。「孤独」には、

「積極的な孤独(Solitude)』と『消極的な孤独(Loneliness)』があるということが大前提として認知しておきたいことであり、後者の『消極的な孤独(Loneliness)』が、課題・問題となる「望まない孤独」です」

もちろんこのドイツ文学者の言う「孤独」とは、Solitudeにあたる孤独であろう。つまり「一人でいることに喜びを感じること」「一人でいることを楽しむこと」そこには「寂しい」と感じる感情はない。

「ウィーンのカフェ」と聞いただけでもゴージャスな雰囲気を想像するのに、そこで一人の時間を過ごすという贅沢。私もそんな老舗の一つでお茶を飲んだことがある。残念ながらイーオットと一緒だったので、そんな孤独には浸れなかったけど。

ブラックスーツを着てとっても気取った感じのウエイターが注文を取りに来た。Sachertorte ザッハトルテのおいしいカフェなのに、私は「Apple strudel アップルストゥルーデル」を頼んだ。ウィーンではどこにいってもこれを食べた。あの「My favorite things」で歌われているあのケーキ👍

ウィーンのカフェで食べたSachertorteザッハトルテ
そしてApple strudel アップルストゥルーデル
これもApple strudel アップルストゥルーデル
これもApple strudel アップルストゥルーデル


閑話休題
ドイツ文学者のような豊かな感性や表現力を持ち合わせてはいないけど、私自身も自分が解放された場所がある。この文学者とは趣がだいぶ違う場所だけど😝

生まれ育った田舎の町を出て都会で1人暮らしを始めて銭湯に入った時、その感覚を実感した。こんなに大勢の人がいるのに、誰一人自分を知らない。そして自分も誰のことも知らず、誰かの視線を気にすることもない。「わあ、この解放感」知らない間に自分の心は萎縮していたのだなあと気づかされた。

思えば田舎の狭い町では、通りを歩けば見知った誰かに見られ、店に入れば誰かに出くわす。その頃の私はそれがとても煩わしいと感じていたから、私を知る人がまわりにいない都会は、ある意味快適だった。

「雑踏の中の孤独」とよく言われるけど、この「孤独」はどちらの意味合いがあるのだろう。「雑踏の中を歩き回るのは寂しさからだろうか」それとも「群衆の中に埋もれて一人歩く喜びだろうか」

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?