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今日ときめいた言葉20ー「私たちの魂がたった一回でも、幸福のあまり震え響くなら、その一度のためにはすべての永遠が必要だった」

ニーチェの残した言葉だそうだ。

「あなたが人生の中で一度でも、生の大きな喜びを味わうことができたならば、あなたは苦悩に満ちたこの人生のすべてを、神や真理という虚構に頼らずとも肯定できる」

(竹田青嗣氏の解釈ー2023年2月2日付 朝日新聞「明日へのLessonーフリードリヒ・W・ニーチェ“ツァラトゥストラかく語りき”から)

私はまともにニーチェの本を読んだことがない。哲学の授業などで講じられた概略的知識しか持たず、「ニヒリズムの人」と勝手に自分で決めつけ今まで顧みることもなかった。

だが、この朝日新聞の記事で、ニーチェの哲学についての解説を読んだ時、胸が震えた。ニーチェの哲学は、自分自身が苦しい人生の中にありながら「いかにして生きることを肯定し、絶望した人々を励まし、『喜びの大使』(ニーチェの言葉)となるか」ということに向けられていたからである。だから「今も逆境を生きる人々の心に刺さり続けている」のだと。


私には、いつ頃からか「生きることが面倒だ」いう思いがずっと心の中にある。同じ日常をずっと生き続けなければならないということが、たまらなく疎ましいと感じてしまう。その思いを強く感じる時は気分が落ち込む。

そんな時は、自分だけがそう感じているわけではなく、恐らく多くの人も同様に感じて生きているのだろうと思うことでやり過ごしてきた。

だからニーチェが、「この世界には始まりも終わりもなく、同じできごとが永遠に繰り返されるだけ。すべては空しく、生きる意味はない」という一見ニヒリズムのように思える世界観を持ちながら、一方でそんな世界にあっても(そんな世界だからこそ)、「生きる喜びと苦悩を味わい尽くし、自ら価値を創造する=超人に至る生き方をしよう」という反転の思想で我々を励まし続けてきた思想家であったと知り、自分の不勉強を悔いた。

この世は空しく、生きる意味はない。だからこそ、一瞬かもしれない、その至高の時を求めて生きる。その一瞬のために日々の苦悩が必要だったということだろうか。

NHKドキュメンタリー「ここから」のインタビューでの映画監督山田洋次氏の言葉が重なる(2023年2月11日再放送) 山田監督が語った戦後の苦しい体験と喜び。その時「幸せとは何か」と問われー

「生きていれば、何度か、『ああ生きていてよかった』と思う瞬間がある。それが幸福ってことだよね。『ああ、今とってもいいな』という。それはとても短い瞬間かもしれないけど、その喜びを何度か味わうことが幸せってことじゃないかと僕は思う」

ニーチェの本など読んだことがないけれど、それを解説してくれた記事の言葉にさえ、心揺さぶられる自分がいる。ときめく言葉に出会えることはこの上ない喜びである。「ああ、自分は言葉に励まされて生きている」と実感する。




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