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今日ときめいた言葉ではなく出来事95ー「孫が来た!」第二弾(続)ー忙中閑あり篇

シカゴ軍団に占領され、苦戦を強いられながらも息抜きの時間はあるものだ。今日は、午後からコンサート。彼らの来日予定がわかる前に予約しておいたものだ。

私の住む東京の片田舎は、歩いて行ける距離にコンサートホールがあり、映画館もある。美術館だってあるし大きな都立公園が二つある。市営のスイミングプールもジムもある。ちょっと前まで某デパートだってあった。でも撤退してしまい寂しい限りだ。

だからほとんど都心に出かけたことがない。東京の田舎者である。その歩いて行けるコンサートホールにイーオットとクラシック音楽を聴きに出かけた。

演目は、メンデルスゾーンのバイオリン協奏曲ホ短調作品64、ベートーヴェンの交響曲第6番ヘ長調作品68「田園」、バイオリンは千住真理子、指揮 大友直人、演奏は東京交響楽団。私のような似非(エセ)・クラシックファンは、自分の知っている曲が上演される時しか聴きに行かない。

バイオリン協奏曲はメンデルスゾーンかチャイコフスキー。ピアノ協奏曲はラフマニノフの2番かショパン。ベートーヴェンは大体全部好きかな。オペラも馴染みのあるアリアを歌うものなら見たい。その程度のファンである。

今日はアンコールにモーツァルトのアイネ・クライネ・ナハトムジークだったので、1日にベートーヴェンとモーツァルトを聴くという贅沢を味わった。

演奏を聞きながらふと思い浮かんだことがある。素敵な言葉に出会った時、すごく心がときめく。なぜときめくのか、言い尽くすことはできないけど、自分なりに言葉で表現することができる。

でも、音楽や絵画はどうだろう。心に沁みたり、鳥肌が立つくらい感動しても、その感動を言葉で言い表せない。音楽や絵画での感動は言語化できない。何故だろう。不思議だなあ。そんなことを考えながら演奏を聴いていた。

そう言えば韓国ドラマになかなかの名言があった。主人公の女性が就職の面接で、雇い主から何故大学に行かなかったのかと質問される。彼女は勉強ができなかったからと答える。彼女はフランスのコルドンブルーで学んだパティシエである。すると雇い主がたずねる。「勉強ができなくてどうやってフランスで勉強ができたのか」と。

彼女が答える。

「世の中には、言葉以外に会話をする手段が3つある。一つは音楽、2つ目は芸術、そして3つ目は食つまり料理である」と。

音楽も芸術も料理も言語を介さなくても、確かに人々に伝わり感動を呼び覚ます。

14ポンド=約6.35キロの牛肉をローストビーフに😱
11月23日長女の家のThanksgiving❣️





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