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「私たちはなぜ学ぶのか?」(2)ー「自分に見えないことがあると知ること」とは?

ー学ぶことの意義はたくさんありますが何より「自分に見えないことがあると知ること」だと思いますー(2022年7月6日付 朝日新聞 「私たちはなぜ学ぶのか」上田洋子氏の言葉)

この言葉、前の同じタイトルの記事にサラッと書いたが、含蓄のある言葉である。「自分に見えないことがあると知ること」ー 哲学の父、ソクラテスの言う「無知の知」と言う意味だろうか?自分がいかにわかっていないかを自覚すること。学ぶことで自分の視野の狭さ、浅はかさに気づく。どんなに学んでも、まだ自分には見えていないものがある、知らないことがある、と自分の未熟さや不完全さを認識し謙虚になることだろうか。

そうだとするなら、ここでいう「学ぶ」とは、知識を漫然と習得することではなく、見えていない自分を認識するための行為であろう。だが、自分を知るために自分をいくら掘り下げても、自分の中に答えは見つからない、と言う。自分=自己とは、常に他者との関係において成り立っているからだ、と。

だから他者を理解する能力(=エンパシー)があるということは、自己をより良く認識できるということである。エンパシーは人間社会を生きる上でとても重要な能力である。エンパシーを持って世界で起きている事象を見れば、今まで見えなかったものが見えるかもしれない。意思を持って学ぶことは大切である。

学びの核心である自分自身は、読んだ文章に心がときめいたり、ながめた絵画の色彩に目を見張ったり、聞いた音楽に鳥肌が立ったり、口にした食べ物に至福の喜びを感じたり、悲しい映像に涙を流したり、抱きしめられた時のぬくもりや安心感ー常に五感を働かせて感性をみずみずしく保ちたい。やがてそれが熟成して豊かな想像力を生む原動力になると思えるからだ。

さらに、時には別の世界に浸ることも大切だろう。そんな非日常の体験が新たな発見や感動をもたらし、自分の感性に一層の磨きをかけてくれるかもしれない。

佐藤優氏は、核兵器問題を議論するとき「実際に戦争で人が死ぬ悲しみ、人間が焼け焦げるにおいがどういうものか」を想像できなければ机上の空論だと言っている。(2022年7月23日 朝日新聞「核に脅かされる世界に」)  想像力こそ人間の生存に関わる議論には必要だということだろう。

この言葉に、タンザニアで亡くなった一人のボランティアをヒンズー教の寺院で荼毘にふした時のことを思い出した。高く積み上げられた薪の上に置かれた遺体を赤い炎が覆っても、なかなか燃え尽きなかった。内臓は特に時間がかかった。人ひとりを焼き尽くすということは、こんなにも大変なことなのだ。人が戦争で死ぬということはこういうことなのだろう。抽象的な死などないのである。

私は最近、「見えているのに見えない振りをしてやり過ごしてきた自分」を知った。「映像の世紀 バタフライエフェクト 難民 命を救う闘い」(2022年7月25日NHK放送)を見た時、そのことを痛切に感じた。今さら感じたところで、私に何かできるわけではない。ただ自分の不甲斐なさ、無力さ、そして後ろめたさを感じるばかりだ。

100年以上も遡る難民の歴史を映し出したそのドキュメンタリーは、私を含む多くの人々が気づかぬ振りをし続けてきたことを突きつけていた。この100年で我々はRussia、ユダヤ、インドシナ、クルド、イラク、アフガニスタン、サラエボ、スーダン、ルワンダ、ミャンマー、直近ではUkraine、南米などからの難民の報道を見聞きしているはずだ。

「何もしないで見ていることが果たして許されるのでしょうか」「なぜ彼らを助けようとしなかったのでしょうか。私は諸政府が全世界が援助の手を差し伸べんことを祈る」

これは初代難民高等弁務官フリチョフ・ナンセンの言葉である。彼は徹底した現場主義で現地を見て周り、難民の窮状を理解した。ロシア革命後、かんばつで飢餓が発生した難民キャンプでは、塩漬けされた人肉が市場で売られているのを見、泥でできたパンを難民と共に食べた。そしてソ連への援助として5000万ドルの資金援助を提案したが、時の国際連盟はこれを却下した。

彼がとった行動は、現地の状況を映像に収め世界に発信したことだ。瞬く間に世界は反応し、4000万ドルが集まったと言う。文字を読んだだけでは伝わらないことが、映像を見ることで世界中を変えた。「百聞は一見にしかず」”Seeing is believing”である。今回のこのドキュメンタリーがまさにそうであったように。

その後も難民にカメラを向ける報道記者が現れた。ロバート・キャパ、ゲルダ・タローの写真は世界に衝撃を与えた。

「いつだってただ傍観し、人の苦しみを記録することしかできないことは辛いことだった」(キャパの言葉)

ベトナム戦争では、日本人カメラマンの沢田教一の「安全への逃避」がピューリツァー賞を受けている。彼はその後戦場で亡くなった。

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(朝日新聞デジタルから転載)

ベトナム戦争は、報道が終わらせた戦争と言われるほど、被害者に向けられた映像が世界を動かした。だが、日本社会は難民問題には一貫して関心が薄かったし、現在でもそれは変わっていない。難民受け入れ数は、他の国が百万単位で受け入れている中、日本はわずか二桁台である。日本では難民に認定されることは、針の穴を通すぐらいむずかしい。

そんな中、8代目難民高等弁務官に日本人しかも女性が就任したことは画期的なことだったと思う。緒方貞子。彼女も初代難民高等弁務官ナンセンに倣って、徹底した現場主義を取った。「理屈ではない」と在任期間中の10年間に断行した彼女の改革、活動は、今でも賞賛を持って後のスタッフに引き継がれていると言う。緒方貞子の言葉:

「生きているからこそ保護ができる。生き延びればもう一回チャンスが出てくるかもしれない」

初代難民高等弁務官ナンセンの言葉を自分への戒めとして記したい。

「私は諸君に人々が餓死するということが何を意味するかを考えてもらいたい。ただ眺めているばかりで、手ひとつ挙げることもできないというのは、私にはふがいないのです。あくまで闘って道を開いて進まねばならぬ。失敗でも敗北でも何もしないよりはましだ。成し遂げなければならないことを達成するための道は常にあるのだ」

私たちが学ぶことの意味は人それぞれだろうが、すぐ使える実利的な知識の習得にとどまらず、こうした世界の不条理を感じられる自分になるためではないだろうか。そして、少しでも違う世界を創造できる力を身につけるためではないだろうか。


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