『ぼくには家族がいないから・・』
1 施設で育った少年
少年は、中学校を卒業するまで児童養護施設で育った。高校入試をさぼって、進学できないことが確定したため、施設を出て働くことになった。
少年は、施設から離れた地域の寮のある建設会社で働いていた。でも、友だちもいない地域での生活が寂しかったのだろう。週末に施設のちかくに遊びに行ってしまった。少年はそのとき、運悪く顔見知りの不良グループと出会い、ひったくりに参加するよう誘われた。グループのリーダーにタイマンでボコボコにされた経験がある少年に誘いを断ることは難しかった。
留置所であった少年は、か細い身体をさらに小さくして、反省をからだ全てで表現しているように見えた。
2 僕には家族がいないから
少年には帰るうちがない。戸籍上は兄弟もたくさんいるのだが、面識はないという。
「住み込みで雇ってくれていた会社があるんだったら、一度は連絡を入れてみようか。」というが、少年は「いいです。せっかく雇ってくれたのに、迷惑をかけたから、許してくれないと思います。」と涙目でつぶやいた。
その後、面会を繰り返すうちに、少しずつ打ち解けていろいろな話をしてくれるようにはなったが、審判後の行き先はなかなか決まらない。どこか宛てはあるか、と尋ねても「ぼくには家族がいないから・・」と黙ってしまう。このままでは、少年に要保護性は高くないけれど、行き場所がないから少年院、という最悪の結果になってしう。
審判も迫ってきたころ、「雇用主の知り合いはいっぱいいるから、新しい仕事場を探そうか。」と僕が話を振ると少年は、か細い声で「社長に一度だけ、連絡してもらっていいですか。」といった。
本当は雇ってくれていた職場に戻りたかったけど、これまで引き目を感じていたらしい。
3 元総長だった雇用主
さっそく雇用してくれていた社長さんに電話を入れてみた。すると社長は、元気のいい声でこういった。
「ようやく連絡入れてきましたか。いや、知っていたけど、甘やかしたらいかんと思って、こっちからは連絡しなかったんっすよ。」
「もちろん、受け入れますよ。だってあいつはうちが受け入れないと行くところないでしょ。」
「でも、二度とこんなことしないように、審判まではビビらせといてくださいね!俺も鑑別所入ってから、審判受けるまでがつらくって、つらくって、それから、二度と悪いことしなかったですもんね(笑)」
社長は、このころ35歳。10代のころは暴走族の総長として鳴らし、福岡の暴走族を集めて100台ほどで暴走したというのが“自慢”だ。
そのとき鑑別所に入って以降は、暴走に注いでいた情熱をすべて仕事に注ぎ込み、二十歳前には親方となり、25歳ころには法人化にまでこぎつけたというだから、スゴい。
すぐに、鑑別所に行き、少年に「社長が引き受けてくれるってよ。」と伝えると、少年はうっすらとうれし涙を浮かべた。
4 うちで面倒見ます
審判のとき、少年は鑑別所に面会に来てくれた社長が「成人するまでずっと面倒見るから。」と言ってくれたことがとてもうれしかった、というとまた涙した。よく泣く子だ。
審判も終わりに差し掛かったころ、裁判官が社長に聞いた。
「この少年は、自分から悪さをするタイプではないけど、もう少し誰かが見守ってあげないとダメなようです。もし、保護観察になったら、どこでどのように暮らさせますか?」
すると、社長はためらいもなくこういった。
「ああ、俺の自宅でしばらく預かります。うちのチビたちもこいつになついているんで。大丈夫でしょ。」
少年は保護観察となり、そのまま、社長の自宅で寝泊まりする生活を送るようになった。毎朝、社長夫婦とその子どもたちと食卓を囲む生活。それは、少年が知らなかった「家族」というものを経験させてくれる貴重な体験になったに違いない。
5 成長した少年
数年後、SFD21JAPAN,セカンドチャンス!福岡、田川ふれ愛義塾という福岡が誇る非行少年サポート3団体が合同で開いた元非行少年らの参加するアームレスリング大会のとき、ひさびさに少年と再会した。
その後も、社長のもとで元気に働いていた少年の身長は伸び、身体はだいぶ逞しくなっていた。その姿を見ていると、いつも身体を縮こまらせて、不安そうにして涙を浮かべていたあのころの少年を想像できないくらいであった。
これだけ少年が成長できたのも、少年のことを家族のように受けいれてくれた社長がいたからだ。人の出会いって、本当に大事だと思う。
よかったね。もう「自分には家族がいないから」、なんていじける必要がなくなって。