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【保存版】水は低きに流れ、人の心もまた低きに流れる❘「分かっているけどできない」を解消するシンプルなアイデア

「水は低きに流れ、人の心もまた、低きに流れる」

大学に入って間もなくハマりにハマった「攻殻機動隊」S.A.C. 2nd GIG。
革命を起こさんとするクゼの台詞は、当時混沌としていた自分の心にまっすぐ落ちてきた。

分かってはいるけど、できない、やれてない

「あー、また漫画で時間を浪費したわ」
「ショート動画見すぎてくたびれたわ」
と思う日々を数か月あまり過ごしていた。
(漫画・動画、それを「みること」そのものに善悪はない。
 ただ私の中の価値や順位と照らし合わせたときに
 どれだけ幸福と充足があるのか?という尺度)

時間もだけど、じつは体の使い方も然りで
基本座り+寝っ転がって仕事なのもあって
足腰や腹筋を鍛えた方がいい
首肩コリのストレッチをした方がいい
と思っているのについ後回しにしてしまう。

ポモドーロも時間割タイマーもダメだった。
集中すると音が聞こえなくなる。インターホンも聞こえない。
(正確には、聞こえたであろう音が情報として処理されなくなる)

誰かのいう「方法論」を試しては
それすらもできず

自分の中に
「分かっているのに、やれなかった・できなかった」
という思いが沈殿する。

でもきっと、どこかに「私の」答えはある!
きっといつか、うまい事いくはず!

なんか良さそう、と思うものへの諦めの悪さはたぶん生来のもので

来る日も来る日もジタバタしては
自分の意志の弱さにしょんぼりし、
ささやかな虚無感とともに
流れる雲を見ていた

万策尽きて呆けているうちに
「しなければならない」という言葉にある
抑圧や強制のニュアンスが
ものすごく邪魔でイヤだわぁ~

と、思っていることに気が付いた。

急に元気になって飛び起きた。

「足腰を鍛えなければならない」からではなく
晴れた日に歩くと気持ちいいから
少し負荷かけると強くなったみたいで嬉しいから
だから歩くんだ私は。

「習慣化できない自分はだらしない/美しくなれないない」からではなく
寝る前の30分はご褒美タイムで
1日をねぎらい、サスサスもみもみとマッサージすると
ほぐれて気持ちいいから
ぽかぽかして軽くなって最高にリラックスするから
だからストレッチするんだ、マッサージするんだ私は。

こうしてやっと
「分かっているけど、やれない・できないワールド」を脱出して
「分かっていた以上に、気分良く・気持ちいいんだワールド」へ移行したので書いてみた。

まじ傑作だわ。
これも【保存版】にしておこう、そうしよう。

ちなみに、こっちも良きかなと。

今回の気づきが起きる前にやっていたことで
内面のカオスを自己整理をしている。
この作業が、自己肯定感とか自己効力感みたいな
自己なんちゃらシリーズをとっとと回復させる
地ならしになっていたんだと思う。

【以下余談】
調べると、孟子の次の言葉も出てきた。

「人性之善也、猶水之就下也」 

人性(じんせい)の善なるは、猶(なほ)水の下(ひく)きに就くがごときなり。
人の本性が善であるのは、ちょうど水が低い方へ流れるのと同じである。

告子章句上

「水は低きに流れ、人の心もまた、低きに流れる」
だから律っしよう!的なニュアンスの
元ネタ的に孟子の言葉が引用されているのが散見されるけど
それは「善」が抜けた(あるいは抜いた?!)解釈かと思った。

とはいえ、自堕落OKってことでもなくて
告子(孟子の論争相手、正体不明)とのやり取りの上で
孟子が性善説を説いた中の一節。

水のたとえで良いのか?はさておき
力ずくで何かを変えようと躍起になったり
無理やり奮い立たせるのではなく
穏やかな水の流れにスイスイ乗るように
自然で心地よい方法で
自己改革を楽しみたいと思った。

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