生存書簡 十通目

2020年2月8日

松原礼二さん、Takuさんへ

 お二人のお手紙読みました。返信が遅れてしまい申し訳ありません。先週は学校のレポートとアルバイトに追われていましたが、やっと春休みが来ました。この二ヶ月を無駄にせず、どんどん本を読んで知識をつけたいと思っています。Takuさんはそろそろ受験ということで書簡は前回で最後とのことですね。受験が終わったら、リアルでお話でもしましょう。『映像研には手を出すな!』は僕の周りでもかなり話題になっているので早いうちに視聴しようと思います。松原さんは、体調があまりよろしくないようですね。お体には気をつけて無理のないようにしてください。映画のおすすめありがとうございます。見てみますね。

 さて、松原さんから「小説や詩歌(言葉)と映画(物)。ここに演劇(対話)という第三の声を介入させるとどうなるか。」という質問でしたね。正直、簡単に答えが出せる問題でもないので、明確に回答することはできないのですが、「対話」ということを問題にした時、最近の僕の興味事は重要な示唆を与えてくれるように思います。というのも僕は最近ラップバトルと漫才をyoutubeで見るのにはまっています。この二つに共通するのはどちらも「対話性」が重要であるという点です。ラップバトルというのは二人以上のMC(プレイヤー)が即興でラップで対話して戦うというものです。そして、漫才はいうまでもなくボケとツッコミの対話です。しかし、この二つの中で行われる対話は通常の対話とは異なった様相を帯びています。例えばラップバトルであれば、相手の発言を逆手に取ったり、矛盾点をついたりして相手の発言を無効化したり、相手の発言を自分の言葉を輝かせる脇役のように変えたりします。中でも一番わかりやすい例を書き起こして載せておきます。GOMESSと韻マンという二人の若手の対決なのですが、長い韻の連発を重視して対話を行わない韻マンとそれを批判するGOMESSという文学的な観点からもとても面白い対決です。

GOMESS「よお韻マン初めまして 先行後攻あまり関係ねえだろ お前をネタ野郎とは言わん だがお前が韻が好きなことぐらいは知ってる だがその韻ばっか踏んだその先に意味がないことぐらい俺もよくわかってる 何が必要か、まず教えてくれ」
韻マン「何が必要か 俺は韻マンやから韻が必要 わかってない イェイ マジで俺は韻を踏む ことで進歩する ジェットグルーブ 作りながら マジで俺も淡々と踏む いつも通りラフ 俺も淡々と踏む まるでラップのグルーブ 適当反逆のルルーシュみたいにボコボコにする 反逆のルルーシュか矢筈斬りで皆殺しの鼻歌のブルック」
GOMESS「韻がわかりやすくするために 反逆のルルーシュを二回使って韻の無駄使い 甘いんじゃねえのか 一秒二秒三秒過ぎていくぞ BPM自分の鼓動で測れよ この瞬間今にしかないぞ 即興の内容 今後はないと 何度でも言うが 今韻マン」
韻マン「そう まるでBPMの鼓動 韻に特化したギランバレー症候群 轢き殺すぜ インターネット広告 輝くLike a 銀河鉄道の夜 みたい 俺のライムここで放出 まるでゴーグルで洞窟のシャーロック・ホームズみたい 落とすビーチバレーボール 掻っ捌いて自家製揚げ豆腐」
GOMESS「申し訳ないが シャーロックホームズのようにあと接続詞が全くなってない言葉では 俺と会話は成り立たないし お前らも本当は会話できていないんじゃないのか ヒップホップは己と対話とは言うが 目の前に人がいる以上は そいつら一人一人との対話 ヒップホップ意味がわかるかよ」
韻マン「俺に韻だけっていうけどお前になにがあんねん オリジナルと個性のかけらもない癖に黙れや 毎回フロウがどうってメンヘラかよ嘘やろ 内容オールクソ雑魚って ちゃんとやれやプロやろ まじでいらない 俺のアンチヘイト 適当言われるよりも ヒップホップ感じねえよ きしょすぎるぜ まじで俺はカニエウエスト 知らないヘイト まとめ ここから さっさ消えろ」

GOMESS vs 韻マン/戦極MCBATTLE 第20章(2019.9.15)BEST BOUT1【https://www.youtube.com/watch?v=Vq5NQD_upNE】より

 このように相手の発話を壊していく対話というのはとても面白いと思います。他にもフリースタイルダンジョンの呂布カルマ対R指定戦で、呂布カルマがR指定に「お前の言葉さっきから全部ブーメラン」というようなことを言われた時にそれを逆手に取って「ブーメランは確実にお前の首元を切り裂いて俺の手元に戻ってくる」と言ったのも言語表象内でのイメージの利用という点で興味深いです。
 次に漫才についてですが、これは先程も述べたとおりツッコミとボケの掛け合いによって構成されています。漫才については最近ナイツ塙の『言い訳 なぜ関東芸人はM-1で勝てないのか』を読んだのですが、この本は恐ろしいぐらい明快な漫才の分析となっていて、漫才だけではなく文学などの発話行為と対話を考えるうえでも示唆に富む本だと思います。例えばこの本の中でナイツ塙は標準語のニュートラル性に注目し、そこを突き詰めた結果ナイツの漫才が演劇として機械的になっているという分析をしてします。(意訳)そして、その機械的から抜け出るために相方に内緒でアドリブを入れたりして自然さを出そうとしたりしているというような話もあります。つまり、完全に作り込まれた機械的演劇から抜け出すために対話本来の他者性をアドリブとして現れさせているのです。
 このように漫才とラップバトルから考えた結果、対話の本質には他者性の現れ、つまり出来事というようなものがあるように思うのです。これは文学や演劇、映画における対話の問題にも必然的に関係しています。具体的に例を上げると最近読んだペーターハントケの『ペナルティーキックを受けるゴールキーパーの不安』では対話、或いは言語行為全てにおける不安定さが描かれています。主人公ブロッホにとって全ての言葉や対話は他者性を帯びて現れ、明確に意味決定ができないものとなっている。そのため、この作品には対話(言語行為全般)の出来事が表現されているといえるのです。我々が普段なんの疑問もなく用いている言語そのものの他者性と、対話における未知の出来事によって明確化される他者性、これらの他者性について文学、演劇、映画などの諸芸術はこれからも考えていかねばならないと思います。
 ちなみに最近僕がハマっている漫才コンビ「宮下草薙」では、ボケの草薙がセリフを噛んだり、ネタを飛ばしてしまったりするのですが、そもそもネタ自体がそのような出来事性を許容するような構成になっているために、何度見ても独特な間があって面白いです。見れば一瞬でわかると思います。
 以上、今回は対話について漫才やラップバトルなど色々書いて、文学についてほとんど書かなかったのですが、漫才やラップも文学と同様言語に依存する芸術です。そのため、漫才やラップが提供する問題は同様に文学の問題にもなると思うのです。ということで、今回はここで締めさせていただきたいと思います。
 返答が遅くなってしまいたいへん申し訳ないです。お返事待ってます。

幸村燕より

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