第3回 #あきやさん講演会 感想~ファッションと人生と
幻冬舎大学の第3回・あきやあさみさん講演会に行ってきました。
今回は、今年自分が取り組みたいテーマとしていた「インプット・アウトプット」のお話ということで、開催が決まった時から楽しみにしていました!
↑アーカイブ販売が出るはずなので、URL変わっていたら差し替えます!
あきやさんと自問自答ガールズにリアルで会えるまたとない機会なので、今の自分にとって一番のおしゃれをしたい。
当日はあいにくの雨予報でしたが、午前中は晴れていたこと、お気に入りのコーデをどうしても見てほしかったことから、白地のワンピに晴れの日用の靴で行くことにしました。
結局、会場を後にしたタイミングで軽く降っていたくらいで、それ以外は特に靴を濡らすことなく一日を終えることができたのでほっとしています。
どなたか晴女がいらっしゃったのかしら……ありがとうございます!
開始15分ほど前に会場に入ると、既に半分以上の席が埋まっていました。
正面のスピーカーが座る位置に、あきやさんが最近購入したばかりというスカーフが貼られており、ちょっとしたフォトスポットとなっています。
こちらのスカーフを見た瞬間、真ん中のお姉さんがあきやさん、周囲のおもしろキャラ達が自問自答ガールズに見えて、まさに個性豊かな面々がゆるやかに集まっている自問自答ファッションの世界だなと。
ちなみに、皆さんはどの子が好きですか?私は上の列中央左にいる音楽家みたいな人が好きです。
時間になってあきやさんが登場し、「仮面舞踏会」の始まりが告げられます。
今回は講演の詳しい内容には触れず、聴いたことを咀嚼して考えたことを中心に書いていきます。
ファッション≒発信の話
ファッションとは何か。
答えは一つではありませんが、私にとってファッションとは自己表現です。
その人の個性が見えるファッションが好きだし、自己表現としてファッションを楽しみたいとつねづね思っています。
ファッション以外でも、その人の個性が見える瞬間、その人の目がキラッと光る瞬間が好きです。
人と話すときはすぐ緊張してしまうので、コミュニケーションには苦手意識も強いのだけど、人は好きです。
ファッションが好きなこと、ファッションで自己表現したいこと。
人は苦手だけど好きなこと。
10代の頃から自覚していて、今に至るまでずっと変わりません。
話し手の個性が光る瞬間
あきやさんのnoteやお話は毎回センスにあふれていて面白いのですが、今回の講演会でも、言葉がキラキラと輝いていました。
ふざけた楽しいワードチョイス(褒め言葉)に笑い。
散りばめられた経験談にあきやさんの地層の一端や現在を見てちょっと泣きそうになり。
説明するより実際に聞いた方が楽しいし分かりやすいと思うので、どのような話か気になる方はぜひアーカイブを見てほしい。
今回の講演ではないのですが、あきやさんの目がギラっとした忘れられない瞬間があります。
あきやさんと草野さんのインスタライブで「モテたいんです!」という質問が出た時のこと。
その回答をするとき、魂に火が付いたのを感じました。
質問コーナーで編集者の竹村さんが発した言葉にも、目がキラッとする瞬間を見ました。
「同じ現実も、見る人によって違うふうにも立ち上がる」という言葉。
編集者魂を感じ、竹村さんの仕事との向き合い方をほんの少しだけ垣間見たような気持ちになりました。
ファッションは哲学であり、人生である
人の個性や生き方に触れるのが好きです。
軽い雑談は苦手だけど、本当は深い話がしたいと思っています。
今回の講演会でも触れることができたような、ひとりの人間の思いをもっと知りたいし、自分自身もそういった信念のある人になりたい。
でも、深い話っていつでも誰にでもできるものではありません。
深い話は簡単にできなくとも、ファッションに魂を込めることで
見た目で、第一印象で、その人を語ることができます。
自分そのものではない「モノ」を通して、その人の思いに触れることだってできます。
もちろん、いくら言語化されていない「ファッション」という表現であっても、自分の個性を、思いを、あけっぴろげにしたくない(できない)シーンだってあります。
ファッションで自分を表現することは簡単なようで恐ろしいことです。
ある意味、世界に「私ってこんな人です!」と表明することなのですから。
前に川口すやりさんが書いていた一文を思い出します。
モブでいる時間を捨てるのは怖い。
いつもいつでも元気いっぱいでいられる保証はどこにもない。モブになりたいことだってある。
とはいえ、いつでもいつも本気で生きたい気持ちはある。モブであっても自分を出したい欲は捨てきれない。
(サトシ引退しちゃったね……)
人の個性や生き方に触れるのが好きです。
そして突き詰めれば、ファッションは哲学であり、人生でもあります。
だからこそファッションが好きなのかもしれないと再確認しました。
比較や嫉妬を乗り越えて
話は変わって、インプットの注意点として出てきた比較のこと。
今でこそおさまってきたけれど、20代の頃は比較しては落ち込んでばかりだった私。
ちょっとネガティブな話にはなるけど振り返ってみます。
比較や嫉妬まみれの時代
10代の頃までは嫉妬心というものをほとんど持たずに生きてきたけれど、世界の広さを知るにつれ、ドロドロとした感情を抱くようになりました。
かわいい子を見てはうらやましいと思った。
自分と逆の特徴を持った、アイドルの王道のような幼くかわいい顔がうらやましかった。
二次元でも、ヒロインタイプやいかにも「女の子らしい」女性キャラは嫌いだった。
Facebookなどで、キラキラした笑顔をした集団の写真を見るたびうらやましいと思った。
なぜ自分はその場にいないんだろうと思ったし、笑顔が苦手で写真映りがよくないことにも劣等感を持った。
ファッションはずっと好きだったし、自分のコンプレックスを補ってくれるから、おしゃれには気を配った。
おしゃれじゃないと自分が思う人を内心見下していた。
いくつか例を挙げてみましたが、他にも嫉妬する要素は山ほどあり、今となっては思い出せないくらい。
うらやましく思う相手に近づこうと努力するでもなく、自分とは作画が違うと割り切るでもなく、ただうらやんでいました。
自問自答ファッション講座・教室を受けたことで、すぐに自分自身を受け入れ人をうらやまなくなったかというと、そんな生易しいものではありませんでした。
他のガールズが素敵なファッションアイテムとの出会いを果たしていく様子、自分とはタイプの異なる外見、社交性、パートナーや人間関係に恵まれている様子……嫉妬できる要素は数え上げればきりがない。
「みんなちがってみんないい」が基本スタンスの自問自答界隈にいるはずなのに、嫉妬心を抱いては、そんな自分に嫌悪感を持つこともありました。
嫉妬心を起こさなくなったのは、とことん自分にフォーカスしたことが大きいと思います。
なぜ自分にフォーカスできたのかというと、このような流れがあったからです。
自分の中の悪魔が「自分のことばっかり考えて自己中じゃない?」とささやく声も聞こえなくなるほど自分にフォーカスし、自分がどうなりたいかを真剣に考え動いていった。
ひたすら自問自答していると、他人の声が聞こえなくなるのは本当です。
ひたすらに自分の声を聴いているうちに、いつしか本心から「みんなちがってみんないい」と思えるようになっていました。
もし、比較しちゃダメだと分かっているのに他人と比較してしまう人がいたら。
他人を羨み勝手に落ち込んでしまう人がいたら。
自問自答ガールズ失格だなんて思わないでほしい。
比較しちゃったドロドロを日記に書いて吐き出して、腐海が世界を浄化していくように、自分をきれいにしていけばいい。
その上で、自分にフォーカスしていく。自分を生きる。
それに尽きると思います。
まわりを見て前向きに取り入れてみる
今の私は、自分にフォーカスする期を経て、他の人の考え方を知りたい期に入ってきています。
自分と違ったタイプの人の考え方を知るのが面白い。
違った価値観を知ることで、自分が当たり前だと思っていたことが実はそうではないと知ることができます。
自分一人では行かないようなお店に一緒に行き、試着するのが楽しい。
人の選ぶものや似合うものを見て世界を広げたり、自分の似合うや好きを知ることができます。
他人を知ることで自分のことも知る。
これが正解というものはなく、今の自分が正解だと決めたことを選び取っていく。
ファッションで例えるなら、自問自答ファッションの正解はあきやさんご本人のスタイリングでも、あきやさんが一人一人に提案したスタイリングでもない。
真剣に自問自答した結果辿り着くファッションの系統は人それぞれであり、他のガールズの発信を見ながら「自分ならどうかな?」とさらに考えを深めていくのです。
ところで、私自身はファッションは盛る派なのだけれど、たまたまそうなったという感じです。
「文章を盛る人はファッションを盛る」という件、私自身は文章を盛っている自覚はなくて、言葉にならない感情をなんとか言語化しようとすると熱い文章ができあがるのです。笑
感情を抑えた方が生きやすい世の中だからこそ、ファッションや好きなことの世界では感情の動きを大切にしたいと思っています。
仮面舞踏会、閉幕
いつもはネットの世界で穴を掘りまくっているモグラさんたちが、ハンドルネームの仮面をつけて集結した講演会。
ああ、やっぱ自問自答ファッションとそこに集まる人たち、最高だな。
最後の胸熱な展開に泣くのを我慢しながら、「仮面舞踏会」は幕を閉じたのでした。
先ほど、私にとってのファッションは自己表現であると書いたけれど、ファッションで自己表現しないのも一つの選択です。それも人生。
一人ひとりの選択を認めていける、自分の人生を生きていける。
当たり前のようで当たり前ではないことを、ファッションや芸術といった世の中の主流ではないというか、娯楽的なものと見なされがちな方向から本気でアプローチして叶えていけたら最高だな。
話が壮大な方向に向かっていきそうな気がするので、今日のところはこのへんで筆を置こうと思います。
「日曜日よりの使者」を流しながら涙腺が緩む、日曜日の夜に。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?