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「やったらええやん。」
そのたった一言を、折に触れて今でも鮮烈に思い出す。



アメリカのLAに住んでいる母方の親戚が、幼い私と弟のためにアメリカのオモチャや食べ物、服、アニメや映画のビデオなどをよく日本へ送ってくれていた。その中でも私が特に好きだったのがディズニー映画のビデオだった。英語は全く分からなかったけれど、幼いながらにそのアニメーションの素晴らしさに心を奪われてビデオが擦り切れるんじゃないかというほど何度も何度も繰り返し観た。

それは私が15歳になっても変わらなかった。高校1年生になって英語を少しは理解できるようになっていたこともあり、セリフを全て空で言える程になっていた。当時の私は漠然と『大人になったら自分は海外に住む』と強く信じていた(これは何故だか幼い頃から『呼ばれている気がするから遠くに行かなくてはいけない』と感じていたためであるが、それはまた別の機会に話そうと思う)ものの、まだ遠い未来の話であるそれを”具体的に”考えたことはなかった。

だからだと思う。いつものようにビデオを観ていたこの時、私はふと「いいなぁ、こんなん作る仕事したいなぁ」と、言ったのだ。この発言は無意識に、何の気なしに発されたもので特に大きな意味などなかったはずだった。冒頭の母の一言を聞くまでは。

私の言葉を聞いた母は、至極当たり前のようにその一言を口にした。
「やったらええやん。」
少し間を空けて、私は思わず聞き返した。
「え?…やったらええやんって、何を?」
「そういう仕事。やったらええやん。」
「え、ディズニーやで?アメリカの…。映画作る仕事やで?」
「うん、やりたいんやろ?」

私は衝撃を受けた。
そうか、したいならやればいいのか。
そうか、やろうと思えばできるのか。

インターネットもまだまだ普及していなかった当時は”ググる”という概念がなかったし、それゆえに15歳の子供が自分で手に入れられる情報量というのは現在のそれと比べると随分と限られていた時代だった。

だからこそ自分にとって『未知のもの』は全く以って現実味がなく、自分とは無縁の世界だと信じて疑わなかったのだが、私のその思い込みが大きく変わった瞬間だった。

その後、私の相談を受けて現地で色々と情報を集めてくれた叔母に「ディズニーでアニメーターとして働きたいならCalifornia Institute of the Arts(カルアーツ)という学校に行って勉強してはどうか」と勧められた。北米のアニメーターの多くがここの学校の卒業生らしく、恐らくそこがベストな進路先だと教えてくれた。それ以外にも、技術的なこと以前に日本人の私は専門的な授業についていく語学力を身につけるためにESLで勉強する必要があることも分かった。これら全て、母の一言がなければ知り得ない情報だった。高校2年生の夏休みには、LAへ行き大学の下見までした。

「じゃあやってみよう」と実現に向けてアクションを起こした途端に”具体的に”何をするべきなのかが分かり『実現不可能な未知のもの』であったはずの憧れは『実現可能な目標』に姿を変えた。

結果として、私はこの進路には進まなかった。両親の離婚とアニメーション界の転換期(従来の2Dアニメ制作からコンピューターで制作する3Dアニメーションへの移行)が重なり、散々悩んだが色々考えた末に別の進路を選ぶことを決めた。

しかし、この一連の経験はこれ以降の私の人生に大きな影響を与えた。やりたいと思ったなら、やってみたらいい。失敗したら次に活かせばいいし、自分の気持ちに変化があれば迷わず方向転換すればいい。時に辛いことがあっても自分で「やる」と決めたのだから踏ん張れるし、やりたいことの実現に向けて行動を起こせば何かしらの結果はついてくる。

やるか、やらないか、できないか。

人の人生は、この3択の繰り返しで構築されていると思う。母の言葉のおかげで若い頃から「やる」を選び続ける人生を歩めた私はとても幸運だった。進路を変更したその後もいくつもの「やってみる」を実践したおかげで、多くの得難い経験ができた(言わずもがなではあるけれど、私だけの力ではなく周りのサポートに恵まれたのも幸いした)し、現在もバイタリティ溢れる毎日を送れている。

あの日からもう随分と時間は流れたけれど、挑戦したいことと出会う度にあの衝撃に想いを馳せる。そして私の思い込みを変え、背中を押してくれた母のあの一言を思い出す。


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