ゴエモンは地獄に堕ちたままなのか? ~秩父の神社めぐりをしつつがんばれゴエモン続編を熱望する~

みなさん、唐突だが、神とか仏とか地獄とか、「伝承のような形で、実在すると言い伝えられているもの」を信じているだろうか?
私は信じている。といっても、心の底から信じているというほどではない。昔からあると言われているなら、あるんだろうというくらいのものだ。
なぜ信じているのだろうか。きっかけは、がんばれゴエモンというゲームだった気がする。

このがんばれゴエモンというゲームは、コナミ株式会社より発売されていた、石川五右衛門をモデルにしたと思しき義賊、ゴエモンを操作するゲームだ。
江戸時代をモチーフにしており、最初のうちは悪代官を懲らしめ、町人地に小判をまく(それを仲間のエビス丸が拾う)という演出でおなじみだった。

これは余談なのだが、確か海外版限定で、ゴエモンは甲賀流の抜け忍という設定がついていたように思う。そのせいか、ゴエモンは様々な忍術を使うこともできる。

本題に戻ろう。
確かファミリーコンピュータ版がんばれゴエモン2だったと思うのだが、道中でゴエモンの体力が尽きるか、ステージに配置されたお地蔵さまに攻撃してしまうと、ゴエモンが地獄に落ちる。
記憶の限りではあるが、急に背景が真っ暗になり、画面上部からロープで逆さづりにされたゴエモン(とエビス丸)がゆっくりと降りてくる。その下には煮えたぎる地獄の窯。かたわらで、鬼がナイフとフォークを手に、煮えたゴエモンを喰ってやろうと待っている。
私は小さいころ、この画面を見て、大泣きした記憶がある。ゴエモンが鬼に喰べられてしまうと思って、本気で怖かったのだ。
システム的には、ただボタンを連打すれば助かった。だが私は、このゲームをやらせてくれているイトコに、本気で泣きながらどうすればゴエモンを救えるのか聞いた。
これ以来、私は「お地蔵さまは大事にしなくてはいけない。神様も、いるっちゃいるのだろう。地獄は怖いところだ」と考えるようになった気がする。

しかしそれは、私がアプリオリに持っている、自然への恐れが発露しただけと言えなくもないだろう。ゴエモンが地獄に落ちた場面を見ても、ただ演出の一環として「どうすればいい?」と考えるだけの人もいると思う。もともと私はなんとなく、言葉とか情景として思い描くことのできないくらい小さなころから、なんとなく地獄とかを感じていたから、ゴエモンで描かれた地獄を怖いと思った可能性は捨てきれない。
私にはなんとなく先天的に、目に見えない自然物を畏れる心が備わっていたのかもしれない。


だからこそ私は、鳥居の真下をくぐってはならない、神社の手水舎の作法を守らなければいけない、境内では脱帽すること、などの決まりがあれば、「そうなの?わかった」と受け入れている。
しかし神社に行くと、堂々と参道の真ん中を歩いたり、手水舎を完全スルーしたりする人も多いのだ。このような人を見ると、私は「ゴエモンで泣いたことのない人なのかな」と思ったりする。

さて、今日の記事のタイトルである。
私は本日、埼玉県秩父市にある複数の神社に参詣に行ってきた(県をまたいでの移動はしていない)。

実は今年の3月末、まだ新型コロナウイルスによる緊急事態宣言が出ていないころ、自家用車を運転して秩父市内にある三峯神社に行ってきていたのだ。
あのときは不思議な感じで、「行きたいなあ」などではなく、「あ、行こう」と思い立ち、経路を調べて、「車で5時間か。いける」と思った。私はもともと車の運転に大の苦手意識があり、歩いて1時間程度のところでも歩いて行くほどなのだが、そのときは本当に楽しく車の運転をして、三峯神社まで行ったのだ。
カーステレオで聴いていたのは「がんばれゴエモン」シリーズのサウンドトラックだった。これがまた、埼玉県西部の山の中の風景に非常によく合った。
今日は秩父鉄道で行ったのだが、やはり旅のお供にしたのはゴエモンのサントラ。見た風景は3月とは違うが、「そうそう、こんな感じの道だった。渓流があって、山があって、家がぽつぽつ建ってて」と、妙に懐かしい気分になりながら旅を楽しんでいた。

考えてみれば、ゴエモンシリーズは長らく続編が出ていない。というよりはゴエモンシリーズのプロデューサーとディレクターはコナミから独立し、グッドフィールという会社を立ち上げ、主に任天堂の下請けとして開発をしている。
一方コナミは、今年の年度初めにあげた新規イラストにゴエモンが書かれていたので、まだIPとしてのゴエモンは保持しているようだ。
ならば、ニンテンドーDSで発売された、東海道中大江戸天狗り返しの巻に続く続編を出してほしいと思っているのだが…私のなかでは実は、ゴエモンは地獄に落ちてしまったままなのだ。

私は恥ずかしながら一時、ネオ桃山幕府のおどり以降ゴエモンシリーズから離れてしまい、大人になってからやったことのなかったゴエモンシリーズを買い集めた。今ではプレ値となってしまっているようだが、飛び出せ鍋奉行!(ゲームボーイカラー専用)も、中古屋で2000円で購入することができた。
なので、一部のゴエモンシリーズは最近になって手をつけたのであり、私が最後にプレイしたゴエモンは「でろでろ道中オバケてんこ盛り」(ニンテンドウ64)だったりする。

このでろでろ道中、実は各ステージの最終面であるお城ステージに行く際に、シリーズではあまり見られない特殊な演出がある。
関守たちに通行手形を見せて門を開けてもらうのだが、ゴエモンたちが門をくぐったあと、門がゴォォン・・・と重苦しい音をたてて閉まる。そしてゆっくりと画面が暗転していく。
私はこの画面をみたとき、昔にファミコン版がんばれゴエモンで見た、ゴエモンが地獄に落ちた場面を思い出し、少々肝が冷えた。

さらに、偶然にも、でろでろ道中オバケてんこ盛りでは、3面の「地底城」が地獄をモチーフにしている。入口はお墓や地面から伸びる青白い手などが特徴的だが、ステージを踏破するごとに血の池地獄、針山地獄など、内容がおどろおどろしくなっていく。

でろでろ道中自体はとても面白いゲームだし、作中でゴエモンたちが死んでしまうような、後続タイトルに影響するような演出はない。
しかし、あの扉が閉まる演出、ステージ進行、なにより私の印象・・・。
それにより、私の記憶の底ではゴエモンは地獄に落ちたままになってしまっている(パチスロに魂を売ってしまったと言えなくもないが・・・。パチスロでアレンジされたBGMはどれも絶品である)。

最大のわがままが願うのであれば、任天堂にゴエモンIPをコナミから買ってもらい、グッドフィールにゴエモンの続編を作成してもらいたい。

さて、行ったり来たりしてしまって申し訳ないが、話を現実に引き戻そう。
立ち寄った神社は、聖神社、秩父神社、秩父今宮神社の三社。
じつは宝登山神社にも行くつもりだったが、新型コロナウイルスの影響で社務所が15時で閉まってしまうらしく、じゃあ今回はいいか、と諦めた次第。
三峯神社には行かなかった。行こうと思えば行ける。今日も御花畑駅に着いた時点で11時。西武バスで余裕で行ける時間ではあったが、なぜか三峯神社には自家用車を運転していきたいという気持ちが強い。次回また「あ、行こう」と思う時が来る気がしているので、その時の楽しみとしたい。
各お社にお賽銭を投げ入れ、初穂料を納め、縁を結ばせていただいた。
二拝二拍一拝のさなかに考えたことは、まあ私だけの秘密とさせていただければ幸いだ。

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