2020年2月 サラワク帰省まとめ 前編
先月、1年ぶりにサラワクの山の中にあるKenyahの村へ行ってきました。
1年のうちいつ訪れてもいいのですが、ちょうど1月から2月ごろが村では稲の収穫期です。
村の人たちは各家族手作業で収穫作業を行っているので、いくらかその手伝いができればと思い今年はこの時期に行くことにしました。
ちなみにサラワク山間部では日本のような水稲ではなく、山を切り開き焼畑を行い、陸稲を栽培しています。
家庭によっては谷にできた沼地・湿地を利用して水稲を合わせて育てている家もありますが、この辺りではそういう家庭は少ない気がします。ミリやシブの平地であれば水稲栽培している家庭も多くあります。
さて、稲が水稲ではないので、収穫方法も日本の稲刈りとは違って穂先だけを刈り取る「穂刈り」です。実った稲穂の間を歩きながら一つ一つ摘みとっていきます。
↓天日乾燥中の稲穂です。地面に広げているのですが、放し飼いの犬がこの上を歩いたりすると石を投げて追い払います。
これらのお米は商売用ではなく、完全に自家消費用です。
勾配のきつい山肌で栽培しているため、種まき、収穫、脱穀に機械は用いらず100%人力です。(昔は精米も手作業だったそうですが、今は精米の過程だけ機械を使用しています。)
そして結論から申し上げますと…今回私は収穫に関われませんでした!
…残念。
理由は天候、彼らの慣習とスケジュールの都合もろもろです。
慣習の中で農作業をしてもいい日、してはいけない日などが色々あり、明日がXXだから今日はだめ、じゃあこの日なら大丈夫かと思いきや一日中雨に降られたり…で結果私は本当に何もせず。
ただただご飯を作り景色を眺め、魚を眺め水たまりを覗き犬と遊び、時々人がいればお喋りをして過ごしました。
まあ街とは時間の流れが違う場所なので、できない時は仕方ないです。これもひとつの正しい過ごし方です。
仕事の都合上、休暇はわずか1週間ちょい。Miriからこの村まで車で片道8~10時間なので、どうしても往復に2日はまるっと必要です。
今回はそのわずかな滞在中に見た・聞いた・行動した・考えたことを前編・中編・後編と3本でお届けします!
中編・後編は別のnoteにまとめます。
前編:Kenyahの身体装飾のお話ほか
中編:日本食にトライ。滞在中Kenyahの人に作った料理と反応について
後編:サラワクの生き物と自然の中のKenyahの暮らしの話
まずは本noteにて、Kenyahの人たちの身体装飾の今について少々お話を。
あるお母さんの耳たぶが切られていたこと
ギョッとするようなタイトルですが、これ、別に怖い話や事件性のある話ではありません。
Kenyahの女性はかつて長く伸ばした耳たぶが美の象徴でした(”Orang ulu long ear”などのキーワードで検索すると写真が見られます)。
しかし時代が過ぎるにつれ、ピアスは開けるものの耳たぶは伸ばさない・伸ばした耳たぶを手術で切り一般的な外見にすることが女性の中では当たり前になってきています。
村の人に話を聞くと、現在50代の女性の中には「昔は長くしていたけど、もう切った。」という人が多くいるのに驚きます。
彼女らの耳たぶは、よくよく見ると底の部分に線が入っていて、通常耳たぶと言われる部分にピアスがついています。線のところが縫合跡だそうです。
なぜ耳たぶを切ってしまったのかを聞いた時、おしゃべりなおばちゃんは、「もう今の時代こんな耳の人いないし」「これで街で買い物してても人に見られない」と言っていました。
時代の流れ、というやつですかね。
今もまだ長い耳たぶを残しているのは70~80代以上の女性が中心でしょうか。
町や村で見かけたシチュエーションを思い返すと、高齢のおばあちゃん達の耳たぶは長いな、という印象です。
さてさて、話に戻ります。
今回村に行って気づいたのですが、これまで長い耳たぶを持っていたあるお母さんの耳が短くなっていました。
(米の)畑でお会いして、「きゃー久しぶり~!(意訳)」といった挨拶の後、Kopiを飲みながらお喋りをしていてはたと気づきました。
でも「普通の長さになった」耳たぶはあまりにも自然で、私も始めは全く気づくことができませんでした。
会話をしながら「ん…?」「何か違う気がする」「どこか変わった…?」と顔を見ていて、本当にハッと。
ちょっとショックを受けました。
もちろん私は部外者なので色々言うことは控えたいのですが、村の人たちが自分の文化の証を消してしまう、ということが。
幼い頃過ごした祖父母の家が取り壊されるのを目にするような気持ち、とでも言いましょうか。
機能的にそれが何を為していなくとも、その人と共に50年以上もの人生を過ごしてきた体のパーツをとってしまうなんて、なんだか寂しいというか。
「一体なにがそうさせたんだろう」と考えずにはいられないです。
このお母さんとはKenyah語でそこまで込み入った会話ができる訳ではないので、直接的な理由はわかりません。
「耳、切っちゃったの!?」と聞いたら「んー、左側がうまくいかなかったんだけどね」と言ってちょっと照れくさそうに笑っていました。変化に気づかれて恥ずかしかったのでしょうか。
なんというか…切なかったです。
結婚式で見る「つけ耳」
ちなみに。
Kenyahの人たちの今時の結婚式、ウェディングドレス&スーツに加え、Kenyahの伝統的な衣装も着ます。
この伝統衣装での撮影の時、女性はわざわざゴム製の?ビロビロ伸びた長い「つけ耳」をするんですよ。
(”Kenyah wedding”で検索すると、飾り付の長い耳たぶを付けた女性の写真がいくつか出てくる…かも。)
この他にも、伝統舞踊の大会や偉い人をもてなす際の踊りの際は、どこからともなくこのつけ耳を出して耳に引っ掛けて踊ったりします。
自分自身の耳たぶは伸ばさないけど、節目のイベントなんかでは必要だと感じているということですよね。
長い耳の女性が減ってしまうのは悲しさもあるのですが、日本人が成人式に着物を着たりするように、Kenyahの女性にとって長い耳たぶはまだアイデンティティとして認識されているのだな、と思ったのでした。
ある青年達の耳に穴が開いていたこと
逆に今度は男性の耳についてです。
Kenyahの男性は耳の上と下に穴を開け、リングで大きな穴を固定したりその穴に動物の牙などをはめるのがひとつの身体装飾でした。
(「orang ulu man ear」などのキーワードで検索すると、こちらも若干画像が出てきます。耳たぶ部分と上の軟骨?あたりに穴が開いています。)
こちらは女性の長い耳以上になかなか目にしません。
80代後半のおじいちゃんの中に、まれに穴が開いている人がいるくらいでしょうか。男性で耳の上下に穴が開いている人を見るとレアなのでちょっと嬉しくなってしまいます。
これまで私が訪れている村では、数人の高齢男性の他、40代の男性が一人だけ耳に穴を開けていました。この人は「自分の文化・誇りだから」ということで、若い時に村の年長者に頼んで開けてもらったそうです。
それがここ最近。
去年ある村の人と電話をしていてから、「XXの耳、今度会ったら見てみ。」と言われたんです。
文脈的に「まさか!穴開けたの??」と聞いたんですがその時は「楽しみとしてとっておいたらいい」と教えてもらえず。
そして今回本人達に会う機会があったんですが…計2人。
アラサー男性の耳たぶに、リング状の大きな飾りがついていました。話によると、そのうち一人は、先述の40代の人を見ているうちに、「やっぱカッコイイじゃん」と思って最近開けたそうです。
全体数で見たらわざわざ穴を開ける人は少数派だと思います。それでも、いつか彼らの子や孫世代が自分たちのアイデンティティを思った時、きっとアイコンのように記憶に残るのだろうな、と思いました。
新しいニックネームができていた人の話
先日、別のnoteでKenyahの人たちの文化として「呼称」の話をまとめました。
*個人的にはKenyahであれば説明せずに理解できる、オフィシャルな単語としての呼び名を「呼称」、その時々で付けられ、特定のコミュニティ(家族や友人関係内)で用いられる呼び名を「ニックネーム」と分けています。
Kenyahの文化として存在し使用される呼称も多いのですが、改めて今回村を訪れて、新しいニックネームがつけられていた人がいました。
あるBalu(未亡人につけられる呼称)の方といい感じになった独身男性です。
彼はこれまでは本名をもじったニックネームで呼ばれていました。人懐っこく割と人をからかったりするのが好きな愛されキャラです。腕のいいハンターでもあります。
この人はつい最近父親が亡くなったばかりで、このままいけば「Uyau」(父親が他界している独身男性につけられる呼称)になるのかな、などと私はぼんやり思っていました。
そしてこの男性といい感じになったBaluさんには、大きくなった子供が数人いました。
そしてそのBaluさんの娘さんとこれまたいい感じになっている若者が、この男性のことを冗談で(かつ友人間で)「XXお父さん」と呼ぶようになり、周りの人たちが裏でこっそりこの呼び方をするようになったんです。
(Kenyah語表記は特定に繋がるといけないので表記しません)
ちなみにこれ、Kenyahの人たちが通常使用している呼称とは異なります。造語なのか存在する言葉なのかはわかりません…。
お父さんの他界後、彼の呼び名はどう変わったのか今回訪ねたら聞いてみようと思っていたのですが、思いもかけない方向へ話が転がっていて驚きました。
このケースだと、本人が愛されているからこうしてからかわれている部分もありそうです。
夜間噂話に興じる人々を見ながら改めて「本当すぐニックネーム付けるよな…」と思うと共に、こういうのってどこの世界でも普遍的なんだな…とも思いました。
夫婦関係における「offshore」のブラックジョーク
これは以前からちょいちょい耳にしていた言葉ですが、今回身近な例があったのでついでにまとめます。
サラワク州東部にあるMiriは石油の街として栄えた過去があり、石油・天然ガス産業がその他の都市に比べとても身近にあります。
働く場所が海の石油掘削場(石油プラットフォーム)であること、それが転じて産業そのものを指して「Offshore」と言います。
サラワクだと「仕事何してんの?」「Offshoreだよ」で通じる話が半島側では伝わったり伝わらなかったりするので、前提知識がサラワクと半島では全然違うんだなーといつだったか半島に住み始めて思ったことがあります。
この業界、基本は男社会です。
労働者はサラワクなりシンガポールなり中東なり中南米あたりの海に浮かぶ掘削現場で2週間~2、3か月寝泊まりしながら仕事をします。
その間奥さん(や子供)は家に残るので、つまりは単身赴任のようなものですね。
(通常の単身赴任と違うのは、海なので一度プラットフォームへ行くとすぐには帰れない、缶詰状態になることでしょうか。)
男性側の話だと、長期で家を離れている間、滞在先でお気に入りの女の子ができる、ガールフレンドができる、ってのをよく聞きます。
中には滞在期間が終わった後マレーシアに帰国して、再度その場所を訪れたらあれれ、子供の数がなんだか多いぞ…?なんて話もありました…ね。
そういった話の中で、旦那さんが別の場所で働いている間、逆に奥さんが地元で遊んでいることもある訳です(悲しいことに)。
そしてそういう時に使われるのが「Wife also go offshore」というブラックジョークです。
意味はそのまま、「旦那さんがoffshoreへ行き働いている間に、奥さんもoffshore(別の仕事・男)で忙しくしている・していた」ということです。
この手の話は毎回村へ行く度にどこかで1度は耳にするんですが、今回サラワクへ行った時にはまさにその「奥さんが仕事していた」パターン。
旦那さんが家に帰ってきたら家はもぬけの殻、奥さんもいなけりゃ2人の子供も家具も一切ない、てなことだったらしいです。
子供は同じ街に住む奥さん側の親戚に預けられており、取り返すことができたそうですが、仕事から帰ってきた旦那さんの心境を思うととても心が痛い話ですよね…。
これが実は私も顔見知りの家庭で、旦那さんと会った時に違和感を感じてたんですが*、迂闊に直接聞かなくて良かったです。
*この家族は、毎回奥さんと子供含めた全員で顔を合わせることが多かったので、旦那さんしか会わないのを不自然に感じていました。本人のいない時、別の人にこっそり聞いて知りました。
使う時がやってくるのか分かりませんが、この界隈のブラックジョークとして覚えていて、飲んでる時なんかに使うとウケます。
さてさて、前編のお話はこんなところです。
次は中編「Kenyah人に日本食を食べてもらった話」へ続きます。
中編:日本食にトライ。滞在中Kenyahの人に作った料理と反応について
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トップ画像紹介:直訳「タバコ稲」という名前の陸稲。切り口が丸く、穂の根元からまるで火が出ているような外見からこの名前が付いたと。
私のnoteで何か発見があったり、考えるきっかけになったり、純粋におもしろいと思ったり。投げ銭せずにはいられなくなった時、よければどうぞ!