中学生の私に伝えたい人生の話 ③

【目次】
オタクを存分に楽しめるのは若いうちだけ
正論を言えるのは余裕があるから
人と仲良くなるために自分の優秀さを証明する必要はない
・コミュニティに溶け込むには自己開示が大切
・もっとも純度の高い愛とは見知らぬ他人への親切である
・苦手を克服するより得意を頑張ったほうがいいことづくめ

人と仲良くなるのに自分の優秀さを証明する必要はない

私の家は、いわゆる転勤族だった。
中学生ぐらいまでに何度か住む場所が変わった。当然、住む家だけでなく、学校も習い事も友人関係も、そのたびにリセットされた。

「何度も転校したことがある子はコミュニケーション能力がある」なんて思われていたのは昔のことだろう。
今では、度重なる引っ越しが子どもの精神発達に悪影響を及ぼすということが精神医学的に証明されているらしい。ラジオで聞いたことがある。

大きな環境の変化は、もともと内向的な性格の私を、さらに内に引きこもらせた。
一番最初に所属していたコミュニティでは(当然ながら)物心つく前から友人がいたので、友だちを作る方法なんて考えたこともなかった。
転校というものがなければ、自分の精神的成長に見合ったレベルの変化やストレスに晒されつつも、そのまま自分を受け入れてくれる人たちに囲まれて「正しいコミュニケーション」を身に付けられたのかもしれなかった。
あるいは、転校生(なり、ストレスの多い環境下で過ごす子ども)であっても、外向的であるか、たぐいまれなる努力家であるかして、自分からトライ・アンド・エラーを繰り返して「正しいコミュニケーション」を身に付ける人もいるだろう。
私は臆病者で怠け者の子どもだった。
自ら友人を「作る」方法など探さず、ただひたすら受け身に、友人に「なってくれる」人を待った。

当然、私は転校先で孤立した。
孤立すればするほど殻を破って外に出ていくのは難しくなるもので、学校で頼れる人は誰もいなくなった。
ホームルームで先生の言うことは一言も聞き洩らさないようにした。
「明日の持ち物なんだっけ?」なんて気安く訊ける相手はいないのだから。

しかし私は勉強ができた。
生まれつき顔が美しい人、足が速い人がいるように、私は勉強ができた。

私は転校先でいじめられたことがほとんどない。
当時の私は、それは自分が勉強ができるからだと思った。
クラスメイトも勉強を教わるときだけは私に話しかけてくれた。
そうして私は、コミュニティの中で生き延びるためには、優秀でなければならないと信じるようになった。

間違いに気がつき始めたのは、大学生になったころだった。

サークルの飲み会の席だったか。
隣のテーブルで話されている内容を何度か耳が拾った。
最近観て感動した映画だったり、行ってよかった美術展だったり。
その映画も美術展も観た/行ったものだったので、「あ、その映画知ってます」「私も行きましたよ」と声をかけた。
すると、そのとき話題の中心にあった人物が言ったのだ。
「amoちゃんって、いっつもそうやってアピールするよね」
そうして引き起こされる、周囲からの苦笑。

それから英語の授業中。
グループに分かれてスピーチ原稿を書いていた。
みんなで話し合いながら文章を考えていると「〇〇って英語でなんていうんだ?」という質問が出た。
「△△だと思うよ」
誰も答えない中、私だけが答えを知っていて、少しだけ得意な気持ちで教えた。しかし、みんなは私の発言をスルーして辞書を調べ始めた。
「あ、ほんとだ、△△だ」
「ほらー! 言った通りでしょ」
イエーイと少しおどけて言ったが、みんなは私と目を合わせることなく、作業に戻っていった。

こんなことばかり書いていると、胸が重苦しくなってくる。
羞恥心なのか、拒絶された悲しみなのかは、わからないが。

ともかく、「もしや私の話し方って嫌われがち? マウント取ってるみたい?」と気づき始めたころ、ある人と出会った。
控えめで、寡黙で、自分の考えをほとんど言わない人だった。
特に容姿が優れているわけでも、賢いわけでも、明るい性格なわけでもなかった。
しかし、彼女は慕われていた。

彼女の言動を観察していて気がついたのは、
・人の悪口を言わない
・寡黙だが、会話の流れで話す順番が回ってくれば普通に話す
・基本的に誘いは断らない
・でしゃばらない。必死さがなく自然体

結果として、リーダー的存在ではないものの、「いつもそこにいて当たり前の人」になっていた。

つまり、コミュニティに所属する他者をおびやかす恐れがなく、かつ、コミュニティの一員としてその「場」に参加し続ければ、人というのは普通に仲間として認めてくれるのだ。
人に認められるためには、優れていることではなく、コミュニティの一員であり続けることが大切だというのは、私にとって大きな発見だった。

(つづく)