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誕生日を迎えて、2022年のバケットリストを見返してみた。

私は2022年の始まりに、TwitterかInstagramで見かけたバケットリスト、「死ぬまでにしたいことリスト」を作った。

本気で考え抜いて作ったものというよりかは今年のうちで出来たら後悔しないな、みたいな軽い気持ちで作ったものだ。

今年の春ごろなんかはこのリストの存在をすっかり忘れながら過ごしてしまったくらいなのだが、この前誕生日を迎えて数か月ぶりに開いてみた。

そうすると、いくつか既に達成しているものがある。
本当にやってみたいことはブレないんだなぁなんて思う。

でもそれと同時に数か月違うだけで、
(これ、今の自分は別に全然やりたくないけど・・・?)
みたいなものもあったりする。

大きいイベントがなくても生きているだけで考え方が変わる、ということがわかる瞬間だった。


最近の私は、疲弊していた。いろいろなことに。
色々なことと言いつつ、すべて仕事関係だ。
やはり仕事をするというのは大変なのだ、完全に社会人初めての壁にぶつかっている。

ある日、職場で昼食を食べようとしたら上手く食べ物を呑み込めなくなった。家でも液状のものを飲み込もうとすると気管に入ってしまう。

これはまずいと思って今年ずっとお世話になっている整体に行った。

ほんの少しだけ病気の可能性も考えたが、ストレスが原因だったようだ。
私の人生、ストレスとそれに伴う自律神経の乱れにかなり狂わされている。

でも、ストレスが要因と分かったことで、自分の心に折り合いをつけることができた。今、私の心には負荷がかかっているのだ、ということを認識できたことは大きい。現状を真正面から見つめるのは勇気が必要だ。

ただ落ち込むものは落ち込むので、どうしたものかと思いつつだらだらTwitterを見ていたら、推しの言葉が目に入ってきた。私の推しは日本人ではないので翻訳されたものを読んだのだが、そこにこんなことが書いてあった。

今の人生だけを最善をつくして生きたいです。最後まで良い思い出を残して幸せになるように最善を尽くして生きます。 人生は一度だけだから。
(参照:@skz__mayさんのツイート)

人生は一度だけだから。

今までの人生で何度も目にしたはずで、すごくありきたりなはずの言葉なのに、とても輝いて感じた。
今の私にとってすごく目新しく、行先を導いてくれる星のようだった。

それだけ”推し”の存在は尊いものだということを感じつつ、自分の心と向き合う。

今この瞬間は過ぎ去る一瞬のものにすぎないのだ。
永遠のように繰り返されると思われる時間も、本当はたった一度しか経験しない瞬間なのだ。

どんなに辛い瞬間もただの通過点にすぎないのだ。

そんな考えがふと、頭の中に浮かんできて、とても気が楽になった。

大切な瞬間はいつまでも心と記憶に残るように大切にするし、自分の心が傷つけられてしまうような時間は、ただ自分のそばを風が吹いていくように、放っておいたら自分と遠く離れた場所に流れてしまうと考える。

辛いときは、辛い、大変だ、という気持ちで心がいっぱいになってしまいがちだけど、そんな時こそじっと耐えて、その時間が永遠ではないことを考える。

この考え方は自分の気持ちを守りながら生きていく上で大切にしたいし、定期的に思い出したいと思う。

もし私と同じように今の状況に苦しい思いをしているひとがいるなら、押し付けたりはしないから、こんな考え方もあるんだよ、と勝手ながら共有したい。

今は苦しくてもきっと大丈夫。

私なら、あなたなら、きっとうまくやれるはずだよ。


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