死の哲学

あなたは今死にたいですか?死にたくないですか?
今、と問われると現在の状況からしか死のことを考えられないですね。

私は今と問われると、死にたいの方が心情的に優ってしまいます。
でもまだ自分のことを考える余裕があるので不幸100%ではないのでしょう。
だから本当に死にたいと考える人は少しだけ付き合ってくれるとうれしいです。

今から考えるのは、死にたい、死にたくないという二択を数十年単位である人生の中の一瞬で決めるのは果たしてどういうことなのか。です。

つまり、今死ぬと残りの人生もったいなくない?
あるいは、今死を選ぶ方が楽になれる……。

この二択を考えることそのものが、一体自分の人生に何をもたらしてくれるのか、そういう話です。
前置きが長くなりました。本題です。

人生の価値は、死までの間に経験した幸福の総量で決まるだろう。

コレを提唱したいのです。簡単に判断基準としやすい、お金を要素に幸せを考えてみます。

生まれつきお金をたくさん持っているが、死ぬまでの間、貧乏になり続け、最期は不幸なまま迎える事になる人。

反対に、生まれは貧乏だがいわゆる成功を納め続けて右肩上がりに幸福になってゆく人。

多くの人が後者の幸福に終わる人生を送りたいでしょう。

でも今の2つを、幸せの総量で比べるとどうでしょうか。一見右肩上がりに見える幸福な人は、生まれは不幸なのです。(お金を基準とした時の話)

2つは同じ幸せの量を持っています。

私は幸せになりたければ自分だけと向き合う事が大事だと考えます。
幸せの基準はお金だけではない、複雑な世の中です。

長い人生で、他人と同じ幸福の量を持っているかどうかって、絶対わかりません。
共に人生を歩む、愛し合う2人が同じ幸福の量を持っているかどうかってわからないのです、だって明日相手が死ぬかもしれないんですから。
これまで同じ幸せを感じているとしても、これからも同じ幸せを得られるかはわからないのです。

だから人の幸せを感じる前に、自分が一番幸せを感じておきましょう。
自分勝手になるかもしれません。でもみんなそんなもんです。自分勝手に生きてたまたま人に利益を与えられる人がいる。
それができない人達が不幸になる理由はどこにもありません。
頑張ろうね、人生、自分のために。

そしたらいつか余裕ができるから、気まぐれで人に与えたりできるかもね。

おわり

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