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文章が読めない私の、苦しくても読める好きな文章のジャンル

私は、文章を読むのが苦手。
おそらく、軽度のディスレクシア(読み書きが困難な症状)だと思う。

文章の理解が難しいというのもあるが、一番の苦しみは文章を読むスピードだ。漫画1冊を読むのに軽く1時間は確実にかかる。小説やnote、テストの問題文も、契約書もメールも、全て「声に出して読めるスピード」じゃないと読むことができない(大学入試では、声も音も出さないようにして、猛スピードでクチパクしてテキストを読んでいた)。

そんな私にとって苦痛の読書だが、その中でも苦しくても読みたいと思うジャンルがある。それが「エッセイ」だ。

なぜエッセイは読めるのか(まあ、これも声に出して読めるスピードじゃないと読めないんですが)、それはただ単にエッセイが好きだからだと思う。エッセイ、随筆とはつまり、人に見せる前提で書かれた日記のようなものだ。

その中には、筆者の日常のストーリーや、頭の中で考えていること、悩みなどが切実に書かれている。私自身も、世にいる誰しもが経験している当たり前の日々。それを筆者自身のカラーグラスを通して綴られている。

自分が経験したことでも、この人はこんな風に考えるのかという新たな発見をすることが出来るのも楽しいし、「それ!私も考えてた!仲間がいた!」と同士を見つけられるのも、遠足前夜以上にウキウキする。

なにより、そのストーリーを経験している実際の人がいるというのがいい。何気ない日々に記されている主人公がいる。それだけで、自分も主人公になれる希望のようなものを見出すことができるから。

エッセイの好きなところは、主人公の実在性だけではない。エッセイの主人公特有の性格だ。卑屈で私なんかがなんかすみません、とへっぴり腰になっていて、でもどこか茶目っ気とトキメキに対する嗅覚があり、卑屈だからこそ自分の内側に見えない芯のようなもを持っている。そこが、なんか自分と似ている気がして、愛着が湧く。

しかし今の自分は芯を持てていないので、エッセイを読むことで、「こらっ!」と言ってお尻を叩いてもらっている。同じような人間がいることに甘やかしてもらえると同時に、人生の先生として教えを請う事もできるのだ。あぁ、すばらしきエッセイ(おいおい、頼り過ぎだぞ)。

私の好きなエッセイストは、何と言ってもつる・るるるさんだ。ありがたいことに、つるさんのエッセイ集2冊の表紙を担当させていただいている。自分の好きなエッセイストさんのお手伝いができて大変光栄、幸せの極み。今年も新作が出るということなので、楽しみです!

今は、皐月まうさんのnoteで紹介されていた『コンビニ人間』で有名な村田沙耶香さんのエッセイ集『きれいなシワの作り方~淑女の思春期病』を読んでいる。

タイトルの「淑女の思春期病」という言葉に揺れ動かされたから読み始めた(ちょろ)。
まぁ、実際読んでみると、大人!女!!自意識!!!って内容で「ぬぁあああ〜」と叫んでしまった。

話は脱線するが(私の中では繋がっているんですが)、最近ちょっと上手く創作ができない、というかなんか気分がメランコリイになっている。(↓2枚目と3枚目の順番逆です)

原因は自信のなさのような気がする。
本を読むスピードもそうなのだが、私は何をするにもスピードが遅い。教室を出るのもいつも最後だし、マラソン大会もビリだし、好きな絵を描くのも、就活も。

さらに、キャパも劇貧である。3人以上の会話についていけないから、できるだけ1対1で会話をしたいし、できる仕事の量も人より絶対に少ない(でも、調子がいいときは、「俺、何でもできるぜー!!いえぇい!!全部任せろぃ!!」になってる優柔不断野郎)。マルチタスクなんてもっての外だ。

このように、小さい頃から私は自分にあまりにも自信が持てていない。
近頃は、この「なんか何もかもうまく行かないんだよな」の気分を「いつまでやってるんだ!」と蹴り飛ばしている。その手助けとして、エッセイを「た、助けてぇ~~」と言いながら読んでいる。

おとなになると、こんな甘ちゃんな自分を全肯定で甘やかして、次に進む力を全力投球で一緒になって考えてくれる人はいなくなるので、こうやるしか方法がない。

もし私と同じように、現状にうじうじしている人がいたら、エッセイを読んでみることをおすすめする。ポケモンセンターでテンテンテテテン♪と全回復とまでは行かないまでも、徐々に旅への一歩を後押ししてくれる存在になってくれると思うからだ。

気分の落ち込みについては、あまりご心配なさらず!今は好きなものや気になっていたものを浴びるように摂取して、落書きだけど絵も投稿したりしている。やっぱり心の潤いと、人の喝って偉大~~!

ファミレスを享受せよの感想とかと書きたぁーい!

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