見出し画像

〝Tシャツ〟のお話し(「Tシャツ 青のおはなし」改題)

(当サイト「空間音楽のAmix-Soundworks」に、2021年9月7日付けで掲載したものを改題・加筆したものです)

Tシャツの由来

今や〝Tシャツ〟は老若男女を問わず愛用されている衣類の一つになった。千円以下で手に入るものから〝何でこんなに!〟と思うほど、高価格のブランドTシャツに至るまで、千差万別のラインナップになっている。

ところで〝Tシャツ〟はいつ頃から用いられるようになったのだろうか。
その起源を調べるついでに、〝丸首半袖〟のアンダーシャツはアウターとして通用するか否か、という、どうでも良い問題についても考えてみた。

オオイヌノフグリ

ジェームズ・ディーンと60年代日本の常識

Tシャツと言えばアメリカ、のイメージがある。その起源については、諸説ある。
発祥は1900年代、第一次世界大戦下のヨーロッパ軍が、兵士に綿素材の肌着として着用させたのが起源、とされる説が主流となっているようだ。
つまり元々はアンダーウェアとして誕生したということになる。

インナーとしてスタートしたTシャツは、動きやすさ、洗濯のしやすさ等からアメリカで軍用や労働者の衣類として発展して行った。
その後、1950年代の映画『理由なき反抗』でジェームス・ディーンのファッションをアメリカの若者達が支持したことで一気に広まった。

白いクルーネックのTシャツ(Hanes らしい)にブルージーンズ、赤のジャケット。
今見てもカッコいい、ディーンのファッションだ。
〝不良っぽい青年〟と見られていた役柄のせいか、日本では60年代に入ってもジーンズは不良の着るもの、という既成概念があった時代だ。
だからこそ日本の青少年諸君は、余計に惹かれたのだろう。

60年代のジョーシキとしては、下着で出歩く、または下着が見えるなどというのはもっての外。
若い女性の〝見せブラ〟などとんでも無い話だ。
私には金輪際、縁のないことなので多くは触れない。
もし私がそんなファッションをしたなら、周囲は怖いもの見たさの人で溢れかえるだろうことは間違いない。

そんな日本で、アウターとしての位置を占めるようになったのは70年代あたりからのようだ

シラネアオイ

Tシャツのアウター化

話を戻そう。
そんな時代でも、肌シャツ姿で外にいる人種もいるには居た。
任侠関係の人か、柴又の寅さんくらいしか思い浮かばないが。

その後、肌シャツも時代と共に機能的に、また見た目もよりスマートに進化してゆくこととなる。
〝時代〟を作って行くのは、新陳代謝が旺盛な人間が中心となる。それは肌シャツの世界にも当てはまるだろう。

70年代には、様々なデザインのTシャツも作られるようになる。日本の若者達が〝元〟肌着であったTシャツを、堂々とアウターとして着用するようになって行った。
そして印刷技術の進歩もTシャツのアウター化に大きな役割を果たしたことだろう。

シャガ

インナーとアウター境界線はどこに?

しかし、しかしだ。
Tシャツの形そのものは、基本的には丸首半袖下着と変わらないではないか。
色が付いているかいないか、模様があるか無いか。違うのはそこの所だ。
綿のT型シャツ、と言う部分ではまさしく同じものと言える。

好みの問題もあるだろうが、例えば白いセーターなどのシンプルで模様の無いものが好き、という人は白無地のものを選ぶかも知れない。

Tシャツだってシンプルな白いものが良いという人も居ると思う。
白無地のTシャツと丸首半袖シャツを並べたとしたら・・・。少々乱暴に言えば、基本的には同じ、だ。
布地の厚さや質などで、かろうじて下着と区別されるだけのような気がする。

TシャツとVネックセーターの組み合わせはノーマルだ。
では丸首半袖の方はどうか。アンダーシャツとVネックセーター。
襟元のVから見える範囲内では恐らく見分けはつかないと思う。

アンダーシャツでもしっかりした生地のものなら、全く白無地Tシャツで通りそうだし、そこまでじっくり観察するような酔狂な人間も少ないだろう。下着か否かの判別は、要するに素材の問題に掛かっているのだと思う。

キクバクワガタ

結論 !!

と言うことで、しっかりした素材の丸首半袖シャツはアウターとして通用する、と言う結論に到達した。
これを実証してくれる勇気ある方はいらっしゃらないだろうか。
ただし実証の上、科学的根拠のある説を発表したとしても、衆目を集めるような結果にはならないだろうが・・・。

クロッカス

文責・写真 : 大橋 恵伊子