年相応
緊急事態宣言下のロケは・・・
今年(2021年)の5月中旬、八島湿原近くの撮影ロケで膝を痛めた。
その当時、東京は緊急事態宣言が発令されて都外への不要・不急の外出自粛が叫ばれている最中だった。宣言を受け、都内の公園・植物園などは軒並み休園になっているし、よくお邪魔する檜原村や奥多摩の駐車場もクローズされている。
致し方なく、その日のロケは久しぶりに霧ケ峰へ向かうこととした。それも現地の駐車場に人の集まってくる前に引き上げる予定で、深夜2時に出発したのである。
思わぬ落とし穴が !!
まだ早春の内にあった霧ケ峰。時期になれば高山植物も見ることのできる八島湿原。その脇にある鷲ヶ峰へまず向かう。名前に似合わぬ低い山だ。
今の時期、夜明けは早く、既に空は白んできており霧はあったものの早朝の気に身を包まれてゆっくりと登っていく。この登山、とも言えないような道中で思いも寄らないことが起こるとは・・・。
この道はガレ場というかザレ場というか、岩がゴロゴロしている。数週間前から少し違和感のあった膝のことがちょっと気がかりではあったが、現場に着くと撮影に集中して忘れてしまう。さて、降りようと、すでに少し痛み始めたナ、と感じた右膝を庇いながらそろそろと降りはじめた。
と・・・。
細かい岩に左足を取られてバランスを崩した。思わず体を右に捻って転倒を免れた! 、と思った瞬間、右の膝に激痛が・・・。咄嗟に出した右足を20センチほど下についてしまったのである。その衝撃で右膝に負担がかかってしまったようだ。曲げるも伸ばすもままならない右足を引き摺りながらようやっと下山。200Km弱ある帰路の安全運転のため、その日私はそこでロケを中止し、運転手に徹することにした。幸い、アクセル、ブレーキの操作に支障はない。
「年相応」って?
帰宅後すぐに近所の整形外科へ。そこはカルテに写真を貼ることになっている。いまだになんと30代の自分の写真が貼られているカルテを引っ張り出してくるのだ。これでは、変わり果てた姿に本人確認にならないのじゃ無いかといつも思うのだが・・・。
さて先生と向かい合った。ケガの経緯を聞きつつ、先生は3度のけぞって、挙句に「アナタ、元気だねぇ」と。
50代半ばまで、私は自分の年齢というものを意識したことはなかった。学生時代から社会人になってからもずっと何らかのスポーツをしてきたせいもあったろう。50代半ば、ボランティアで小学生チームのバスケットボール・コーチをしていたが、同年のコーチの一人から「もう年なんだから」という言葉を何度も聞かされてのち、改めてそうなのかしらん、と思うようになって以降、自分の年齢を多少は気にするようになったと思う。
次には井上から機材運搬について「無理するな」と言われ続け、さらに自分の年齢を意識するようになった。そして近頃は息子からも「もう年なんだから」と言われる始末。
思えば自覚、ということではなく、周囲からの言葉で自分のトシを考えるようになったようなものである。
そこへ今回の、このテイタラクである。流石に自分の年齢を意識せざるを得なくなったようだ。
しかし、年相応、自分のことで言えば、68歳4ヶ月の〝相応〟とはどの程度のものなのだろうか。考えた結果、平均を行く気にもならないし、まぁもう暫くは、自分なりの〝相応〟基準で行動するしか無いかな、と思う今日このごろである。
文責・写真:大橋 恵伊子