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コマーシャル

CMの始まりは何時?

コマーシャルと言われて、まず連想するのは番組中や番組の切り替わり時に流れる「テレビ・コマーシャル」、CM だと思う。

テレビ放映のコマーシャルは、その時代を物語る〝世相の証人〟でると同時に、新しい時代を予感させ、次の時代をリードして行く〝時代のさきがけ〟でもある。つまりCMには二面性があると私は考えている。

何十年も昔に観たコマーシャルを思い出すと、優れたものがいくつもあった。それらは単に、商品の宣伝、という本来の役割を超えて、そのメッセージ映像の中に実に様々な要素が含まれていたように思える。

そもそもテレビ・コマーシャルは、一体いつから始まったのだろう。テレビ放送の開始と同時だったのだろうかと思ってその歴史を調べてみた。果たしてというか、当然というか、テレビ放送の初日に立派にコマーシャルは放映されていたのである。テレビ・コマーシャルとテレビ放送の歴史はぴったり重なっていたのだ。

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ユキワリイチゲ

初CMは事故から始まった !!

その歴史は、私と同じ時間経過の下にある。テレビ放送は、日本テレビが1953年8月に開始している。同年9月に生まれた私とは同年齢のよしみ、と言っても良い。ところが記念すべき初放送の〝初コマーシャル〟には思いも掛けないトラブルが起こっていた。インターネットでちょっと検索すれば判明するほど有名な事故だったようだ。

読者に検索の労を掛けないように手っ取り早く紹介すると、精工舎(服部時計店)の正午の時報を兼ねたものがそれだ。アニメーションのニワトリが時計の螺子ねじを巻く映像に、腕時計の使用方法のアナウンスが入る。それに続いて「精工舎の時計が正午をお伝えします」のナレーションの後に時報、の筈が、音声が流れない。

フィルムが裏返しだった事が原因で、画像のみが流れて僅か3秒で打ち切られた(30秒の説もある)。午後7時の時報でやっと全編の映像を放送することが出来た、という曰く付きのものだったようだ。

初のテレビ・コマーシャルは事故で始まったことになる。もっともテレビ創成期の頃にはこのような例は多かったようだ。その2年後のラジオ東京(現・TBS)における初放送の時報も、今度はフィルムの逆回しとなって、時計の針が〝反時計回り〟に回転するという事故が起こっている。

この時代(昭和30年初頭)は、ドラマでさえ〝生放送〟だった訳で、なんでも初めての事が多く、事故も頻発したのだろう。

そう言えば、日本でのテレビ放送に数年先駆けて開始されたアメリカのテレビ放映初のコマーシャルも、BLOVAの時計のコマーシャルだったとのこと。それを真似た訳ではないにしても十分意識はしていただろう。まだまだ、外国に追いつけ・追い超せの気風充満していた時代だったのである。

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コウヤボウキの綿毛

〝新しい時代を感じさせるCM〟登場

さて先にテレビ・コマーシャルは〝世相の証人〟〝時代のさきがけ〟という二つの面を持つ、と書いた。それは〝セールス・メッセージを送る〟というだけに止まらず、キャッチコピーが時代の流行語となったり、使用された音楽が単独でヒットしたり、という点に現れていると思う。

振り返ってみるとまさに〝世相の証人〟〝時代のさきがけ〟たり得たコマーシャルをいくつか思い出す。1960年代は、高度成長期。その後半には、コマーシャルもよりモダンに、感性重視の表現としてポップなセンスが取り入れられるようになった。

レナウンの〝イエイエ〟がその代表的なものだ。〝ドライブウェイに春が来りゃ〟で始まる「レナウン・わんさか娘」の映像と音楽は、子ども心にも時代が変わる予感を感じさせたものだった。

アニメーションのモダンなお姉さんは、いわゆる〝普通の女性〟にとっては憧れのトップモードとして印象深く、彼女らの心に強く訴えるものがあった。当時はミニ・スカート、ヒッピー、サイケデリック(そしてGS・・・)等、音楽や映像に於いて、それまでの定石じょうせき・軌道というものから大きく一歩を踏み出すような、力に溢れた時代だったと思う。 

それより少し後の70年代。自由闊達かったつな精神の発露がひと段落し、世の中は退廃気分に傾きつつあって、世界にはキナ臭いにおいが立ち込めていた。メッセージソングやニューフォークが主流となる時代が訪れ、その反動のようにナンセンスを求める方向が生まれてきた。

そのさきがけが、パイロット萬年筆・エリートSのコマーシャルである。知る人ぞ知る、知らない人は知らないだろうが、大橋巨泉の「はっぱふみふみ」だ。意味のない言葉の羅列であるが、一応短歌の形になっていた。

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キバナセツブンソウ

時代とCMの転換期

テレビがすっかり茶の間に定着した70年代。世界で起こる事件・事故のニュースもバラエティ番組も、日常的にお茶の間で見聞きすることができる時代がやって来ていた。
反戦デモが繰り返され、世の中には学生運動挫折の白けムード、ナンセンスの風が巻き起こり始めた。その表れとして「アッと驚く為五郎」(初の大型バラエティ番組「ゲバゲバ90分」)、「OH!、モーレツ!」( Mobil石油CM)などの流行語が生まれた。

70年代後半から80年代に入ると、コマーシャルのイメージソングが楽曲としてヒットするようになる。資生堂の「君のひとみは10000ボルト」(アリス)が有名だ。
メルヘンティックな映像とアリスの楽曲が醸し出すファンタジー。このコマーシャルは、商品宣伝の映像と言うより既にエンターテインメントと言っても過言ではない、と言いたいくらい印象深い。

そしてカネボウのコマーシャル・イメージソングとして採用された「きみは薔薇より美しい」(布施明)は、オリビア・ハッセーの美しさと相まって、やはり80年代のモダニズムを代表するものと言える。

最後に、この時代で忘れられないコマーシャルを紹介したい。富士フィルム・フジカラープリントの岸本加世子と樹木希林のコマーシャルだ。流行語にもなった「それなりに」を覚えている方も多いと思う。

「美しいひとはより美しく、そうでない人は・・・」(岸本)、「そうでない人は??」(樹木)、「それなりに、写ります」(岸本)「・・・はぁ、それなり・・・」(樹木)。この掛け合いにはダイレクトなセールスメッセージはない。が、強烈なメッセージがインダイレクトに込められていて忘れがたい。

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ヘクソカズラの実

情報の取捨選択が大切

心に残っているテレビ・コマーシャルを並べて懐古趣味的意見を書いて来たが、日本のコマーシャルは、他社・他製品との比較競争に陥らないと言う部分において一貫して品行方正で、大人しいと思う。

ひところ、炭酸飲料のコマーシャルに比較じみたものもあったが、某国のようなあからさまな比較・誹謗をするコマーシャルを見ることは無い。その意味において日本のテレビ・コマーシャルは大したものだと思う。

しかし、スウィッチを押しさえすれば膨大な情報が流れ出てくるテレビという媒体に対しては、その情報の取捨選択をしっかりできる目を養っておかないといけないと思う。

何故ならコマーシャルは〝脅し文句〟の面も有しているからだ。この化粧品を使わないと数年後、シミやシワでヒドイことになりますよ、貴女の顔には顔ダニが、手には黴菌ばいきんがいっぱいですよ、と言われているようなものである。

どの情報をどれくらい信用するか、くらいの知恵は常に持っていたいものである。

*コマーシャルの歴史については『AD STUDIES』(公益財団法人 吉田秀雄記念事業財団・研究報告誌)を参考にさせて頂いた。

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キクザキイチゲ

文責・写真 : 大橋 恵伊子