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【物語】ハーモニー #5(最終話)

「おいおい...。いったいこれは何なんだ?急に光り出したぜ、このマーク」
狼狽えながら紙を広げたザックは、助けを求めるようにキョロキョロと視線を周囲に移す。「Ⅱ」のマークを包む淡い金色の光は、すぐに濃く鮮明に輝き出し、目を細めたくなる程に眩しかった。さっきまでピアノを弾いていたレシータとラファ―タはピタリと演奏の手を止め、こちらに向かって来る。
「一体どうしたの?その光は何…?」
二人の顔が青ざめて見えたのは恐らく、その場にいた全員が感じたことだろう。ピアノを弾く時の揚々とした表情はまるで嘘であったかのように、今は迷子になった幼子同然の表情を浮かべている。
「紙切れに書いてあるこのマーク...。どうしてこれをあなたたちが持っているの?」
震える手で紙切れを持ち、中に書き留められた「Ⅱ」のマークを見てレシータは目を見開いた。口を開けたまま、茫然と。ラファ―タは、わなわなと震える肩を両手でかき抱いてその場にうずくまってしまった。その瞬間、咲き乱れていた何輪かの花弁がはらりと落ちた。
「大丈夫かね…?嬢さんたち。顔色がすごく悪い」
「うん、すごくしんどそうだよ。店に戻って落ち着いた方がいいんじゃ…」
ピッコロとミアがすぐさま駆け寄り、二人の背中をさする。俯く彼女たちの顔がどんどん険しくなり、呼吸も乱れる様子を見て、「これはただ事ではない」とザックは察知した。相変らず発光している「Ⅱ」のメモを急いで畳んでポケットの中に仕舞う前、クシャっという雑音が耳に届いた。その音がラファ―タが青い小花を握り潰したものだ、と理解するのに時間はかからなった。

★★★★★★★★★

 店に降りてきた双子たちは3人に支えられるかたちで、なんとかテーブルに着くことができた。ピッコロお手製のミルクココアを前に、手を付けようともせず、ただ互いの手を握り合っていた。そうでもしないと、正気を保てそうになかったから。今にも嗚咽を漏らしながら泣いてしまいそうだったから。静寂が続き、誰も何も言うことができないでいるまま、口を一番最初に開いたのはピッコロだった。
「…わしには、お前さんたちの状況がこれっきし分からないでいるが、話を聞くことならできる」
おもむろに彼の口から出た言葉には、温かさと力強さがこもっていた。
「と、いうのもな。悩みや苦しみ、吐き出したいことというのは、胸の中にしまい込んでいるうちに心を蝕んでしまうのじゃ。若い頃、わしがそうだった」
「じいさんが、心を病んでただって?」
目を丸くしながらザックが訊いた。
「うむ。妻に先立たれたとき、真っ先に頭に浮かんだのはこの店のこと。畳んでしまうべきか、続けるべきかものすごく迷った。わしの心の支えであった妻がいなくなって、店を営むことに何の意味があるのか、と絶望の淵に立たされた。じゃがな、店を畳むということはローゼンメイトの町民たちとの繋がりも薄くなることを意味しておる。そうなることを果たして妻は望んでいるだろうか?いや、あいつは一人一人の訪問客との繋がりや交流をとても大事にしていた。その姿が忘れられなくてな。当時はよく織物屋のマギに相談していたもんだ」
「へぇ、そんな話は初耳だ。ピッコロのじいさんは弱音や泣き言なんぞ言うような人じゃないと思ってたぜ」
その言葉に、ピッコロは首を振った。
「いいや。人間なんてもんは簡単に心が挫けてしまう生き物なんだ。今、こうして『アネモネ』が営めるのも、奇跡のようなもの」
苦難の道を通らされたピッコロの瞳には今はもう憂いがなく、確かな光が宿っているようにレシータとラファ―タは感じた。
「あ、あたしがこんなこと言うのもなんだけどさ。悩みがあるなら言っちゃった方が良いと思うよ。こう、なんというかさ。一度言ってしまえば、心が軽くなると思うんだ」
赤い毛先を指でクルクルといじりながら、躊躇いがちにミアが呟く。
「...たと…え」
「え?」
「たとえ…打ち明けることが私たちにとって何の益にならないと分かっていても?」
「それって…どういう意味?」
ラファ―タの消え入りそうな声も気がかりだったが、何よりも言葉の意味が理解できずミアは素直に聞き返してしまった。すかさずレシータがこう付け加える。
「私たちとって有益な結果にならないかもしれない、という不確かなことでも話した方が良いの?」
「え…お前たちが損しちまうってどういうことだよ」
「さっきの紙切れ」
レシータの細い人指し指がポケットを示す。
「あぁ、光ってたやつだろ。このマークの紙切れ」
「そう。その、『Ⅱ』のマークがどうしてあなた達が持っているのか、皆目分からなかったわ。…その紋章は、私たちの家紋。そして、伝説の楽譜・『イリス・シエロ』の表紙に刻印されている紋章でもある」
「伝説の楽譜」という言葉にその場にいたミア、ザック、ピッコロは耳を疑った。正に今、氷の中に閉じ込められてしまった子どもたちを救い出すためのカギが、目の前に差し出されている。やはり、ピッコロの見つけた書物に書かれたことは真実だったのだと、確信した。
「私たちの家は代々伝説の楽譜を守り続けてきた。それは、この楽譜は普通じゃないから」
「他の楽譜とどう違うの?」
「見れば分かる。でも、見せればそれでおしまいになってしまう」
ラファ―タの言葉に皆が困惑の表情を隠せなかった。
「え…、おしまい?それってどういう...…」
「この楽譜には術がかけられているの。連弾形式の楽譜で、長調と短調の旋律がそれぞれ表記されている。レシータが長調、私が短調のメロディーを弾くと、それと同時に、音符が一つずつ消えてしまう。一度弾き始めたら二度と弾き直すことは不可能なの。」
「そんな...」
「別の紙に書き写したり、頑張って暗譜したりっていうことはできないの?」
「それも無理ね」
レシータが寂しそうに微笑みながら首を振った。
「私たちの母さんは言ってた。病気で死ぬ前、『「イリス・シエロ」は世界最高峰のピアノ楽曲であると信じられているわ。私がかつて夢見たピアノコンクール「シンフォニア」でこの曲をあなた達二人に弾いてほしい』って」
「『シンフォニア』はいつ開催されるの…?」
「12の月の師の刻に。今からちょうど半年後」
「そんな…」
がっくりと肩を落とすミア。だが、その後ラファ―タから発せられる言葉は信じられないものだった。
「でもね、さっきの母さんの言葉には続きがあるの。『でも、もしあなたたちの旅路の途中で運命の扉が開かれるのであれば、どうかイリス・シエロを弾いてちょうだい』という言葉がね」
ミアとザック、ピッコロは三人で顔を見合わせて、そして視線を双子たちに向けた。
「私たち、弾くわ。この曲を。でも、この曲を弾くことで虹が架かるかどうかは不確かよ。一度弾いたら二度と復元はできないから、大損をするかもしれない。でも、スピネル、シトリン、ラリマールが助かるのなら…。きっと幸せな結末を母さんも望んでいると思うし」
「ええ。シンフォニアでイリス・シエロを弾くことは私たちの悲願だった。でも、それ以上に花々が咲き乱れるこのピアノで奏でることも意義あることだと信じたいわ」
はらはらと涙の粒を流しながら湛えた双子たちの笑みは、燃えるような夕焼けより眩しかった。

★★★★★★★★★

 運命の瞬間が始まったのは店での出来事から一週間後の夕方だった。ピッコロの店の屋上には大勢の町民が押しかけて来た。スピネル、シトリン、ラリマールの両親・フレアとジルはもちろん、酒場の連中も事の顛末をしかと見届けるべくピアノの周りに陣をなした。
 最後に屋上の階段を踏み切ったのはレシータとラファ―タ。レシータの腕にはイリス・シエロがぎゅっと両手で抱えられていた。その表紙には金箔で「Ⅱ」の紋章が描かれていた。
「すげぇ。本当にステラのばあさんの水晶玉に映ったマークとそっくりそのまま同じだぜ」
ザックが小声でミアに耳打ちした。
「そうだね。全く一緒だったね」
鼓動がドクドクと鳴るのが分かる。惑いの森の悲劇にようやく幕が下りるかもしれない。そんな期待と僅かな緊張が空気中に漂っていた。
 レシータとラファ―タはそっと椅子に座り、楽譜を広げた。最初の1ページ目しか視界に映らなかったが、五線譜も音符も全てが金色の文字で書かれていた。優雅に両手を鍵盤に乗せ、二人で呼吸を合わせた。全ての感情という感情が空気に流れいくような心地だった。刹那の躊躇いの後、演奏が始まった。
 誰も聞いたことのないような旋律だった。レシータが荘厳に、そして静謐に長調のメロディーを奏でたかと思うと、途端にラファ―タが短調の和音で熱を帯びた激しさで音を連ねていく。まるでピアノという楽器を用いて互いに対話を重ねるように。そして、何よりも目を見張ったのは、音符たちの消失だった。以前ラファ―タが口にしていたように、弾き始めた音符が次から次へと楽譜から剥がれ落ちては消えていくを繰り返していた。真っ白なページになっては、次のページを捲り、また白紙のページが顔を出す…。聴衆が音の粒に引き込まれていく中、織物屋のマギが大声を上げた。
「お、おい、どうなってんだ。こりゃ...!!」
「なんだ、なんだ?!」
「ん...?」
「小雨と太陽の光が同時に降り注いでるぜ!」
「こんなことって。。。」
レシータが長調を弾いていると太陽の光が強くなり、ラファ―タが短調を弾くと雨足が強くなっていったのだ。そして、だんだんと七色のアーチが上空に浮かび上がる。
「虹じゃ!虹が出たぞーーー!!」
ピッコロが声を張り上げる。続いて歓喜の声が湧き上がる。やはり伝説は本当だったんだ!、これで呪いは解けるのかな?口々に皆が思ったことを呟き、喧噪が続く。
ゆっくりと色の濃さを増す虹の中央から大きな光のカーテンが差し込んできた。清らかな白さと輝きは、天使が上る梯子のようだった。ピアノを奏でる二人は一心不乱に鍵盤を鳴らし続けた。心に湧きあがる悲しみとも喜びとも言えない不思議な感覚が、彼女たちの指を動かしていた。
やがて、光は惑いの森の中央の泉に伸びていき、そこで動きは止まった。徐々に光の強度は増し加わり、三人が凍ってしまった氷を解かしていく。
「…行かなきゃ」
「うん、あの坊やたちは助かるのだろうか」
「ラリマール、シトリン、スピネル...!!」
フレアとジルは居ても立っても居られず、駆け出した。続いて酒場の常連客も後を追いかけていった。一人、また一人と走り去って行く町民たちだったが、ザックとミア、ピッコロはただじっと双子たちの演奏に耳を傾けていた。楽譜から剥がれ落ちる黄金の音符たちに魅せられながら。

★★★★★★★★★

 その後のお話はこうだ。惑いの森に辿り着いたローゼンメイトの町民たちは、湖のほとりで眠っている三つ子を発見した。ラリマール、シトリン、スピネルの命に別状はなく、彼らは今まで氷に閉じ込められていたことを全く覚えていない様子だった。フレアとジルは半年ぶりとなるわが子の再会にこの上もなく喜んだ。魔法で閉じ込められていた記憶がない3人は、どうして町民たちが歓喜の声を上げたり小躍りしたりしているのか分からないまま、きつく両親に抱きしめられていた。
 レシータとラファ―タは、一心不乱に、ただ、ただピアノを弾き続けていた。しかしやがて最後のページに差し掛かると、鍵盤から名残惜しそうに指を放した。

★★★★★★★★★

 その日の晩、酒場ではパーティーが行われた。ラリマール、シトリン、スピネルの無事を祝い、皆が皆踊り狂い、肩を抱き合い抱擁を交わした。そして、レシータとラファ―タを英雄として称えた。今でも彼らは覚えていた。一筋の涙が双子たちの眼の縁に輝き、唇はあの懐かしいハーモニーをおぼつかなげに口ずさんでいたことを。きっと、彼女たちは知らなかった。たった一度しか弾けないはずのイリス・シエロの旋律に、そのハミングが似ていたことを。

4819字
ー終ー

 







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